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NO125
08/12/10掲載 |
かまくら 古木の記憶L
浄妙寺「メタセコイア」 (スギ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
絶滅した種といわれていましたが、一九四五年、中国の四川省で発見されました。そして生きている化石として話題になりました。アケボノスギの和名があります。
高さ30m位になる落葉針葉高木で、市内浄妙寺(鎌倉五山)の樹はこの高さを超えています。
メタセコイアの名の響きはロマンチックです。葉は2列対生していて線状。秋には見事な橙赤色になり、三月頃開花し、球果は長さ2cm程の卵状球形で十月頃成熱します。中国が原産地で、国内でも記念樹として植栽されています。
浄妙寺のメタセコイアは、寺の西側にあった、貴族院議員・故大塚氏の設計による、関東大震災の後に築かれた建物、現在の石窯ガーデンテラスの入口にあり、風雪で傾いていますが、下から見上げると威厳があります。 |
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NO124
08/11/10掲載 |
かまくら 古木の記憶K
鶴岡八幡宮「大イチョウ」 (イチョウ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
秋のこの時季になると、寺社や学校の庭などで葉が黄ばむ大木がある。
なじみのイチョウ(銀杏)の木である。
落葉高木で環境に合えば高木になり、黄葉はやがて落葉し、雌の木は種子としてギンナンをつける。実は硬い外側の種皮を剥ぐと柔らかい実があり、食用に利用されている。鶴岡八幡宮の大イチョウは樹齢千年余といわれ、高さは約30b、周囲は約七bと言われている。
八幡宮の造営以前から小林の郷にあり、
県の天然記念物に指定されている。
永い歴史の間、風水害に見舞われても程なく樹勢は回復し、威容を保っている。
三代将軍の源実朝が一二一九年、政(まつりごと)で社殿を訪れたとき、この木陰から甥の別当公暁に襲われたという古事も伝わっている。
参拝に訪れる人たちがこのイチョウの下で写真を掘っている情景も数多く見られる。 |
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NO123
08/10/10掲載 |
かまくら 古木の記憶J
安養院(大町)「ラカンマキ」 (マキ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
鎌倉市大町の古三浦街道の一段高いところに安養院はある。
祇園山長楽寺安養院と卑し、開基は北条政子と伝えられている。
境内には鎌倉に現存する印塔中、最古のものもある。
本堂横にはマキの巨木があり、市の天然記念物になってい
る。一時樹勢は衰えたが、寺の丹念な手入れで、七〇〇年の樹齢は見事である。樹高14m、幹回り3・5m。花粉は時期になると樹の周辺に白い輪をつくるくらいである。樹の下には丁寧に落葉が敷きつめられ、ヤマシャクヤクやエビネも植え込まれている。
エピソードとしては、前住職の故鳥居艮禅師が大震災の時、樹の下でその
震動を飛び跳ねて樹の下に避けたという話があるそうだ。
現住職も子どもの頃、三角ベースの一塁として近所の者と遊んでいたそうだ。
ラカンマキは常緑で関東から九州まで存在し、海岸地帯に多く、暴風垣にも利用され、鉄砲の台尻、また水湿に耐える桶材にもなった。 |
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NO122
08/9/10掲載 |
かまくら 古木の記憶I
本覚寺(小町)「サルスベリ」 (ミソハギ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
別名百日紅(ヒャクジツコウ)とも言われる落葉小高木。暑い夏の中頃から秋の彼岸の前頃まで花を咲かせる。
身近にある木で鮮やかな赤が印象的である。白色の花もある。
木肌がなめらかなため、サルも滑ることがあるため、この和名がある。
灼熱の季節に存在感は大きく、市内では本覚寺のサルスベリは大きく、カレンダーや写真集でも度々紹介されている。
小町の旧家・関さんの庭にあったもので、先祖菩提「百日紅」昭和五十一年十二月 関隆吉 関家より移植の銘稗がある。関家は近世、鎌倉の明治・大正時代に、鎌倉駅、師範学校(横浜国立大)、御用邸などの用地を献納している。 |
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かまくら 古木の記憶H
報国寺「竹林」 (イネ科孟) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO121
08/7/10掲載 |
浄明寺、宅間ケ谷にある報国寺は、孟宗の竹の寺として有名。先代住職・菅原義道師が、広い寺域の一部の竹林を整備し、年月を経て今日に至っている。その数約二〇〇〇本、樹高約二十メートル。夏のそよ風が通り抜ける山内で冷気を感じさせる。
寛政三年の境内絵図には、境内に竹林が描かれている。
市内でも竹では有数の風景を醸し出している。竹をテーマに歌人、俳人はじめ訪れる人も多い。我々が見ている竹は地下茎で続いている本体の枝で、他の植物より光を求める性格が強く、そのため他の植物より抜きん出たいために枝の成長は早い。
梅雨の明ける今頃、今春の筍から育った竹は恵風を起こしている。
報国寺は建長寺派の禅宗寺院として著名で、開基は上杉重兼(市史より)といわれている。 |
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NO120
08/6/10掲載 |
かまくら 古木の記憶G
「白雲木」 (エゴノキ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
白雲木(はくうんぼく)は、北鎌倉・浄智寺西側の平和塔のある緑の中にある。
かつて書院の傍らに、容姿、風格のすばらしい古木があったが、十余年前に枯れ、その二代目が立派に育っている。
花は五月に咲き、その様子は白い雲が漂う様だということからついた樹名と言われている。花の盛りには、樹は白い花で覆われる。その様相は見事である。そして樹の下には、花片が散って一面に敷きつめられる。エゴノキ科エゴノキ属で、落葉高木。
中国、朝鮮半島、国内では九州から北海道までに存在し、県内では丹沢山地にも多い。平地より山地に生え、葉は十〜二十aの円形で上部には鋸歯があり、果実は球型で近縁のエゴノキと同形であるが、長い枝に垂れ下がる。
最近は、庭木や公園木として植栽されているので身近な木となっている。
かつての藁葺きの書院脇にあった白雲木が懐かしい。 |
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NO119
08/5/10掲載 |
かまくら 古木の記憶F
甘縄神明宮「タブの木」 (クスノキ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事)
長谷の守護神であり、伊勢神宮の別宮。
神宮一帯は、鎌倉時代初期の武将・安達盛長の屋敷跡といわれている。神明宮は、和銅三年(七一〇年)、豪族・染屋時忠の建立と称され、その後は源氏と関わりの深い社で、例えば、鎌倉幕府を作った源頼朝は、伊勢別宮として崇敬し社殿を修復している。
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タブの木は、暖地の沿海部の林に多く、常緑高木。甘縄神社境内にも何本かある。
高さ30bほどにもなり、四月から五月にかけて淡黄緑色の小花をつける。長谷海岸には、他地からの海運の船によりいろいろな文化が運ばれてきた。この木も江戸時代からの街の歴史を眺めていたのであろう。 |
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かまくら 古木の記憶E
「タブの木」 (クスノキ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO118
08/4/10掲載 |
鎌倉駅西口。市役所東側の交番の前に、こんもり茂った緑の帯があります。
地下には、鎌倉群衛や武家屋敷が連なってあったところです。
このあたりは、鎌倉時代に北条三代に仕えた諏訪盛重らの屋敷跡といわれ、守護神として祀られた諏訪神社の跡もありました。その後御用邸にもふくまれましたが、傍らの諏訪池と共に地域の人に親しまれていました。
連なるエノキ、スダジィ、クスノキと共に神木タブの木があります。いずれも南方系の樹木ですが、タブの木は樹齢が300年とも言われています。木々の間から根廻りを垣間見ると巨木さがわかります。
古い鎌倉を見ていたこの木は、四、五月頃黒紫色の実をつけます。諏訪神社は現在、商工会議所の横に移りました。 |
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かまくら 古木の記憶D
「若宮大路の松」 (マツ科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO117
08/3/10掲載 |
若宮大路の松は鎌倉幕府以来の名残りということで、保存の声が行政や市民の間に根強くありますが、約30年前(1953年)、当時の鎌倉同人会の佐藤密雄氏(高徳院・大仏殿住職)や貝山宣泰氏(本覚寺住職)ら若宮大路の老松にペットネームを付けて市民に愛着と保護を呼びかけたことがありました。
往時、一の鳥居から三の鳥居の間(1・2km)には松の巨樹がかなりありましたが、マツノザイセンチュウやマツノマダラセンチュウといった虫害で35本ほどになってしまったのです。
「老松をいたわり、郷土愛を高めよう」をスローガンに、豊島屋前の高さ15mの木には「大路の松」、二の鳥居横には「中下馬の松」、本覚寺近くにはえびす堂にあやかり「夷三郎の松」、農協前は「下川の松」などと呼び名をつけました。
その後の大路周辺は、電柱の地中化とともに松の木の植え込みが行われていますが、大気汚染などの環境の変化が、また枯葉を生活燃料として使わなくなったための共生菌の減少など原因は深い。さわやかな白砂青松の浜からの松風はなつかしい。 |
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かまくら 古木の記憶C
「オガタマの木」 (モクレン科) 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO115
07/12/10掲載 |
明治初期に建立された二階堂・鎌倉宮の社務所傍らにオガタマ(招霊の木)があります。
自生地は九州から紀伊半島。裏日本では山口県あたりまでで、関東では珍しい木です。
九州、四国では生活用の家具、楽器、箸、臼、床柱に利用され、木が硬いため工具の刃がよく欠けたそうです。
高千穂の峯の古事に、舞を舞った女神(巫女)の手にしたサカキ神楽鈴がオガタマの実といわれ、関西、四国、九州では神社に植えられてきました。
木の名の感覚で思いつくのは、御魂を拝む“おがみたまう木”でしょうか。
古語で“お”は香、“たま”とは誉める意、つまり香りの良い木と言えようか。また外来語では、香りの良いタマタブの木という意味もあります。
たった1本の木から宗教伝来、中国、朝鮮を通して日本への魂―精神の道があろます。 |
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かまくら 古木の記憶B
「鹿子の木」(カゴノキ) クスノキ科 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO114
07/11/10掲載 |
昭和三十年(1955年)、鶴岡八幡宮の裏山が造成のブルドーザーの爪で破壊されそうな開発問題が持ち上がりました。
いわゆる「御谷騒動」です。
文化人たちが立ち上がり、開発反対の理由に、八幡宮の裏山ということで、自然環境生態系が保持されており、「鹿子の木」はじめ約九十種の希少植物が確認され、「鹿子の木」はそのシンボルともいわれました。
鹿子の木は樹皮が灰黒色で、まばらにはがれ、白い鹿の子模様になるということから、その名ははります。20m程にまで育つ高木で、葉は枝先に集まり、八〜九月頃淡黄色の花を開く。雌雄異株。果実は球形で、翌年七〜九月頃に紅色に色が熟す。
本州の関東以西に存在し、御谷騒動のシンボルになった木は静かに黒い森の中に何本か現在も点在しています。 |
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かまくら 古木の記憶A
「柏槙」(ビャクシン) ヒノキ科 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO113
07/10/10掲載 |
建長寺には、幾何学的に整然と配置された伽藍の並ぶ境内の前庭に、ビャクシンの列樹があります。
創建当時は山門側に左右6本ずつ、仏殿の前に5本ずつであったようです。山門側は桜の木に替わっています。
一二五三年、この寺は北条時頼が建立しました。開山者は蘭渓道驍ナす。道驍ヘ中国の僧で、宗代の中国の様式に習い、境内にビャクシンを植えたもので、数次の大火にも耐え、法堂に向かって左側に大樹があります。ビャクシンは種で移入されたか苗木だったか不明ですが、開山お手植えとも言われ、七五〇年の歴史ある寺の中で樹高13b、幹周り6.6bの規模と言われています。
市内には、円覚寺、寿福寺、浄智寺、大慶寺など禅宗寺に古木が多くあり、鶴岡八幡宮にもあります。
ビャクシンは常緑針葉樹で、「柏槙」は食、炊事に関わりの深い字で、炊ぐ葉を意味し、庶民の間では寺に遠慮のためか、或いは茂りすぎて影が出来るためか、栽培禁忌の木とも言われています。
建長寺のビャクシンは重量感では東日本でも最高の木であると思われます。 |
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かまくら 古木の記憶@
「槐」(エンジュ) マメ科 高柳 英麿 (神奈川県自然保護協会理事) |
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NO112
07/9/10掲載 |
古くから山里に、そして山中に佇む古木は地域の人の五感に様々な響きをもって語られ、受け継がれてきた。
この鎌倉にその古木や名木を訪ねてみたい。
鶴岡八幡宮では、 (エンジュ)の木の古事に因み、信徒の集いに「槐 の会」を作られました。
古事のいわれ多い石段の左横の銀杏(イチョウ)の横に、その木は竹垣に囲まれてあります。高さ10から20bにもなる落葉高木で、最近は街路樹にも多く使われていますが、元来は縁起木として神域にあり、原産国は中国。
鎌倉三代将軍、源実朝の歌集『金槐和歌集』に「槐」の字は使われ、実朝が右大臣にあったところからの歌集の命名です。
中国の周代に朝廷の庭に三本の槐を植えて三公(大臣のつく位置)を示した故事に由来するということです。
八幡宮の槐は、白井名誉宮司が植えられ、風害で倒れた木からの孫生えです。 |
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