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2014/11/10
184号 |
幼児から大人まで楽しい!
あったかな手づくり紙芝居展開催
玉縄学習センターで |
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11月2日から5日まで、玉縄学習センターで開催された手づくり紙芝居展は、幼児から大人まで、連日大盛況。
2日の午後1時から始まった「演じてみよう子ども紙芝居まつり」は、ちびっこ紙芝居作家実演の日。会場の第2集会室をのぞいてみると、子どもより大人の参観者が多いのに驚く。
自作を発表の小学生
まず、アドバイザーの宮崎二美枝さん(紙芝居作家)が、出演する子どもたちの緊張を和らげようと発声練習、手遊びなどでウオーミングアツプ。そしていよいよ本番。千葉県浦安市の小学4年生みわあきひろ君のナメクジが主人公の「なめくんのさんぽ」に始まり、4番目に、地元稲村ケ崎小学校1年生のくろだみくちゃんが登場。富士山が主人公の「ふじちゃんのおひるね」を愛らしく、しっかりと演じる。
この日は9人の小学生が出演。自己紹介では小さな声なのに、いざ紙芝居となると大きな声で表現、会場の第2集会室は、元気な小学生の演技にはじけんばかりの拍手と笑いに包まれた。
約100点の作品も展示
紙芝居は日本の伝統文化。「数枚の絵と肉声だけでコミュニケーションできる紙芝居は、誰でも手軽にできる自分発信の表現手段で、今では、世界にもKAMISHIBAIで通用しています」とJPIC読書アドバイザーの杉山恵子さん。
会場内周囲には、紙芝居文化推進協議会が主催する手づくり紙芝居コンクール入賞作品、約100点が展示されている。作り手は、幼児、小学生、中・校生、大人と幅広い。一角には、鎌倉市の小学生の作品展示コーナーも。
作家の制作秘話を聞く
3日は、『“紙芝居つくりにわくわく”「いそえもんのせっけんづくり」をめぐって』と題し、多くの受賞歴をもつ手づくり紙芝居作家・片岡直子さんによる制作秘話。最初に作品を演じ、次に本題に。横浜に住む片岡さんは、地元出身の人物を題材に紙芝居をつくっている。いそえもん(堤磯右衛門)も磯子出身で、日本で初めて石けんをつくった人。この人物に出会うまで、資料探しにアチコチの図書館めぐりを繰り返し、制作に至る苦労話を、ときにはユーモアを交え語る。参観者を惹き込む話術はさすがだ。
最後に、「紙芝居は紙と言葉と声で自分を表現できる。だまされたと思ってぜひつくってください。マイ紙芝居をつくりましょう」と呼びかけた。
電子情報化が進む現代社会で、自作自演世界最小の演劇、コミュニケーションツールともいえる手づくり紙芝居、その魅力はあなどれない! |
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2014/10/10
183号 |
相次ぐ女児殺害事件!
「7歳児の危機」を訴える大津定博さんに聞く
どのように子どもの命を守るか |
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大津定博さん(写真中央)
鎌倉ガーディアンズ代表犯罪から鎌倉を守る会代表神奈川県暴走族対策指導員いじめ暴力追放アドバイザー銀行員 |
去る10月3日、神戸で小学1年生の女児がいたましい遺体で発見された。この種の事件が相次ぐ中、「とくに7歳児は狙われる」と鎌倉ガーディアンズ代表の大津定博さんは警鐘を鳴らす。子どもの命を守るにはどうすべきか。
− 大津さんは以前から「7歳児の危機」を訴えていますが、なぜ7歳児?
大津 過去の女児殺害事件をみると、奈良(2004年11月)、栃木(2005年12月)、広島
(2005年11月)など、いずれも小学1年生が被害に遭っています。
なぜ7歳かということですが、
小学1年生になると、ご両親の送り迎えや、バスで送迎していた幼稚園の生活から一人で登下校
するようになります。友達もでき、1人で出歩く時間が急に増えるんですね。児童性愛者にとって、
幼児性も残っている7歳児は格好のターゲットなわけです。
− そのため、子供への暴力防止プログラム(CAP)など、小学校では実践しているのでは。
大津 ところが、これを取り入れているのが小学4年生(10歳)。それでは遅いんですよ。被害の一番多い7歳以前に防犯教育をしなければ、事件は防げません。幼稚園の年長からやるべきです。
私は幼稚園などで防犯教室を行っています。三つ子の魂百まで″で、自分の体・命は自分で守るということが身につく。だからこそ、小学校に入る前から教えておくことが大切なんです。
− 防犯教室ではどのようなことを。
大津 子どもには、まず大きな声を出す練習をします。いざという時に大きな声が出るか否かは、日頃の訓練しかない。武道は大きな声を出すのでいいと思いすね。
もう一つは、子供に石になれといいます。固まるんです。体重が20kgの子は立っていると抱え上げられるが、重心が下にゆく程重くなる。固まって石のように小さくなろうと、幼稚園児には徹底してやってもらいます。
3つ目は、警察庁の統計では、20m逃げると加害者はそれ以上追えなくなるそうです。そこで、普段から20mを走る練習をしてもらう。
この3つを徹底します。やって覚えるのと、聞いて覚えるのではまったく違う。高学年や中学生となっても忘れません。
もう一つ大事なのは、「返事を求める大人は要注意」。お母さんは子どもに「知らない人にはついていっちゃだめだといいますが、「知らない人」は子どもと大人とでは違います。公園でよく見かけるおじさんは子どもにとっては「知っている人」。ですから、もっと具体的に、お父さんやお母さんがあいさつしたことがないとか、名前や住所を知らない人など教えてあげる。といっても、見守りボランティアの人には、キチンとあいさつすることも大事。その見極めを教えるのは親の役目なんですね。
ただし、「どこに住んでいるの」とか「いま何年生」など、返事を求め問いかけてくる人は要警戒です。ですから親子が、日頃地域の人と顔見知りになっておくことが大切なんです。
− 親の教育も必要ですね。
大津 子どもの命を守るのは親の責任、国の責任です。
アメリカではメーガンちゃん(彼女も7歳だった)の事件をきっかけに性犯罪者の情報をインターネットで公開するメーガン法の制定など、性犯罪者を監視、予防するシステムがつくられています。ところが、日本では人権の名の下にこうした対応がほとんどない。メーガン法があればこうした事件は防げたのです。
私たちは、市内の犯罪情報をメールに登録し、そのつど発信しています。誰でも見ることができますので、ぜひお役に立ててもらいたいですね。
■防犯メール登録用アドレス no-crime@s5.dion.ne.jp 空メールを送信すれば登録される。 |
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2014/10/10
183号 |
『認知症になった僕が言いたいこと」 −51歳でアルツハイマー型認知症と診断された佐藤雅彦さんの講演から−
主催・一般社団法人かまくら認知症ネットワーク TEL47−6685 |
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講演する佐藤さん(右)とかまくら認知症
ネットワーク代表の稲田さん |
介護者による認知症患者の介護体験は多く見聞きするが、認知症当事者からその体験を聞く機会はほとんどない。講演は9月1・2日午後6時半開催。会場の鎌倉市福祉センターは、100名を超える聴衆でいっぱいに。
51歳頃から若年性アルツハイマー型認知症となった佐藤さんは、コンピュータ会社に勤めていたが退職せざるを得なくなった。「目の前が真っ暗でした。しかし、考え方を変え、こんなこともあるとめげないことに決めた」。以来、講演活動を精力的に行っている。
できないことが増えた。一番困ることは新しい場所に1人で行けない、時間感覚がないこと。
そこで、パソコン、ipad、携帯電話を上手に使い、忘れそうなことはタブレット端末に保管し、生活面の不便を最小限にし、ストレスを感じないように工夫。
「認知症になると不便なことは増えるが、決して不幸ではない。人生をあきらめない」と語る佐藤さんはユーモアを交え明るい。しばしば会場から笑い声が。クリスチャンの佐藤さんは、聖歌隊に参加しボランティア活動も行っている。
今は症状も安定しており、旅行、コンサート、芝居鑑賞などで人生を楽しみたいと、あくまでも前向き。
しかし、認知症は進行し、日常生活に支障を来たす。判断力も鈍くなり、行動ミスも増えるので信頼できる人に相談するようにする。将来に備えて、終末期治療の希望「遺言書、葬儀の方法なども準備し、シンプルな生活を心掛けている。
最後に、「認知症当事者は社会のお荷物的存在ではない。前向きな気持ちでアクションを。」と呼びかけ、盛大な拍手が上がった。
参加者アンケートでも「感動した。健常者といわれる私たちと変わらない」などの答が多くみられた。
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2014/6/10
180号 |
3年目を迎えた「子ども大学かまくら」
6/21に入学式と養老孟司学長の記念授業 |
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日本の未来を担う子どもたちの考える力″、応用する力″、判断する力≠培うための学び舎、「子ども大学かまくら」が3年度を迎えた。学長は養老孟司東京大学名誉教授。
4年生〜6年生の小学生100名を大学生として受け入れ、大学教授やその道の専門家が講師となっての参加型授業。これまで約200名が卒業した。
平成26年度はすでに募集を終了、6月21日には鎌倉芸術館小ホールで入学式と養老学長の第1回授業「なぜ昆虫に興味を持ったのか?」が開催される。
年間授業は、第2回「最先端の電気自動車づくりに挑む」(講師・清水浩慶応義塾大学名誉教授/7月)、第3回「東日本大震災の地で考えたこと」(講師・山形孝夫宮城学院女子大学名誉教授/9月)、第4回「宇宙、ヒト、夢をつなぐ」(講師・山崎直子宇宙飛行士/12月)、第5回「私のサッカー人生」(講師・奥寺康彦横浜FC会長/平成27年2月)。8月には体験学習もある。
「アンケートでも学校の授業とは違って面白いなど、評価はいいですね。3年目となり、定着してきたなと感じています」と事務局長の横川和夫さん。
授業の3本柱は、なぜ″を追求する「はてな学」、いかに″生きるかを学ぶ「生き方学」、どこ=i生活の場)を知る「ふるさと学」。
小学校とは異なる学び舎体験。果たしてどんなちびっこ大学生が誕生するのか、楽しみだ。
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2014/6/10
180号 |
「平和」への想いが結集
最後の市民平和文化展開催 |
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1971年、大阪万博の翌年にスタートした市民平和文化展が、昨年打ち切りとなった。芸術を通して平和の大切さを考えようという目的を掲げ、市民が中心となって企画運営されてきただけに、なんとか継続をという声が強かった。
6月4日から8日まで鎌倉生涯学習センターギャラリーで開催された「最後の市民平和文化展」は、そんな有志の思いが結集した企画展だった。
出品作品 は写真、書道、美術、彫刻・手芸等53点。
「平和の願いを込めた作品をお願いした」と実行委員長の村田佳代子さんが言うように、平和、祈りなどをテーマの作品が並ぶ。
村田さんも2点出品。
「二度の万博、そして」と題する作品には、自ら保存していた万博入場券から宇宙ロケット、電卓など走馬灯のように40数年間の世界の変化、技術革新などを象徴する出来事や物を配置し、その中心に涙する太陽の塔を描いた。
「平和を願う意識が強くあれば、戦争への道は防げる。今回の作品にはそのような想いの強い作品が集まりました」。
4日〜8日までの短い展示だったが、それぞれの作品をじっくり鑑賞する人が目についた。できることなら、継続してほしいのだが。 |
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2014/4/15
178号 |
春風と、つるし雛と、腰越の海…
心温まる母娘饗宴
吉川久子フルートコンサート |
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江ノ電腰越駅を降り、潮風を背に路地を巡り、勧行寺前の坂を上ったかくれ家ともいわれるこの屋敷が、吉川久子フルートコンサートの会場「きよこ」。この日はつるし雛とともに″のサブタイトルつき。お母さんの吉川淑子さん制作のつるし雛が会場を飾る。まさに母娘による音と飾りの心あたたまる饗宴の場。
さくらさくらにはじまり、江戸子守歌、ふるさと、花嫁人形となつかしい曲から、古川さん生演奏のJR鎌倉駅の発車音ですっかりおなじみとなった鎌倉、浜辺の歌、そして吉川さん作曲の腰越状、湘南太平記とお話を交え演奏は続く。
やさしくあたたかな心地になったところでしばしお休み。外に目をやると暖かな陽光が差し込む窓の向こうには腰越の海、江ノ島、右手には富士山も望めるという。
締めは吉川さん作曲の名曲「谷戸の風」。つるし雛を愛でて春のコンサート、贅沢な午後のひとときでした。 |
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2014/4/15
178号 |
六曲屏風の大連作に圧倒
建長寺で井上員男氏の版画「平家物語」展開催 |
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展示された作品に見入る参観者
写真右下 は那須与−が平家の掲げた扇に矢を放たんとする場面「扇の的」 |
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり…」で知られる「平家物語」は、平家の栄華と没落を揃いた物語。この一大絵巻を、紙版画によりモノクロームの世界で再現した作品展が4月4日〜8日、源氏の都・鎌倉の建長寺で開催された。
会場となった応貞閣の畳の大広間に、六曲屏風の12作品がずらりと並び、参観者を圧倒する。物語の文章を墨書し、その場面を作者・井上員男さんが発明した紙凹(白黒)版画で「我身栄花」、「厳島御幸」、「富士川」、「平清盛公の薨去」、「倶利伽羅落し」、「平家一門都落ち」、「坂落し」、「一の谷の合戦」、「頸渡し」、「扇の的」、「檀の浦の合戦」、「大原御幸」に再現した。下絵を描き始めたのが、1984年、彫り始めたのが87年から、全12場面を刷り終わるまでに12年の歳月を要したという。
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井上員男さん |
「扇の的」の舞台となった屋島に近い香川県高松市に生まれた井上さんにとって「平家物語」は身近にあった。「子供の頃から那須与一の話は聞かされていました。同一国民が争う悲哀、この壮大な物語は、オペラの世界と共通すると思う」。
作品の展開にオペラの展開が大いに役立つと直感した井上さんは、機会あるごとにオペラを観聴きしたという。それが全長76mに及ぶこの大連作、版画「平家物語」を生み出したのだ。
「すごいですね。白黒の描写が一層迫力を増しているようだ」と横浜から来たという男性。
今は鎌倉在住という井上さんは、「源氏の霊魂に呼ばれたのでしょうかね」と笑う。
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2014/2/15
176号 |
走って、跳んで!笑顔いっぱいのこどもランニングクラブ「体験教室」 |
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小学校1年〜6年生が対象のこどもランニングクラブ「Mi−Ku−To」4月発足をめざし、1月13日、2月1日、8日に体験教室が開催された。取材に訪れたのは2月1日の土曜日。会場の山崎浄化センターには午後2時開催前に、元気な子供たちが集合し、縄跳びやボール投げなどに興じている。
「Mi−Ku−To」代表の和田隆さんは、「私は市のスポーツ推進委員をしており、招待され見た小学校の運動会で、子どもたちの真面目に取り組む姿を見て感動。元気をもらいました。そして昨年2月、辻堂の子供駅伝大会を見たのですが、75チームも参加し、それを応援する保護者たちも一生懸命。鎌倉でも子供の駅伝大会をやりたいと思いクラブを立ち上げたのです」と発足の動機を語る。
「Mi−Ku−To」とは、子供たちは地域の未来を担う宝ということから未来人(みくと)″。
この日は47名の幼稚園児や小学生が参加。元トライアスロン日本代表の鎌田利明さんの指導で、走る、跳ぶの基本動作からスタート。「手を大きく振って体全体で跳ぶように」、「モモをもっと高く上げて」など、鎌田さんの声に子供たちも一生懸命。
1時間の基礎練習を終え、水分補給の後、スタートの正しい姿勢を学んで学年別50m走。
そしていよいよリレーだ。モモを高く上げ、腕を大きく振ってと、今教わった走り方を実践し、どの子もバトンをにぎって駆け抜ける。
1着は赤組、2着白組、3着緑組。
寒空の下、子供たちは元気いっぱい。「この元気をもらって大人も地域も元気になればいいですね」と和田さん。正式発足し、今年秋か来年早々にも子ども駅伝大会が開催できればという。
そして夢は、子供から高齢者までさまざまなスポーツを楽しむ「総合型地域スポーツクラブ」にすること。スタートする未来人″の長距離走が始まった。
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2013/11/15
174号 |
宮城の旬を食べて、復興応援を!
建長寺で“宮城げんき市場”開催 |
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「気仙沼ホルモンおいしいですよ。」「とれたて旬の焼き牡廟、食べて下さい」、「牛タンいかがですか」……。
建長寺総門前の駐車場で開催された復興応援マルシェ宮城げんき市場はそれぞれの屋台から元気な声が飛ぶ。11月2〜4日までの3日間、荘厳なお寺に閉店した屋台市場に家族連れの市民や観光客でにぎわった。
主催したのは建長寺派の住職や東京の企業などでつくる「海の里創造プロジェクト」で、これまで埼玉県川越市や東京の日比谷公園でも開催してきた。
建長寺ではこの春にも開催、「春はホルモン焼きを食べたので今日は焼き牡塀を食べます」という人も。背に「海に生きる気仙沼ひとりひとりが大きな力に」と書かれたハッピを着た女性は、「日本シリーズで楽天が優勝したでしょう。私たちも元気をもらった。頑張りますよ」と販売に声を張り上げる。
境内の法堂横では気仙沼の酒や特産品、アクセサリーなど販売のコーナーが。
三門ではフルートや津軽三味線の演奏も。
また、震災語り部として女川商工会の青山貴博さんが、津波で九死に一生を得た体験を生々しく語った。
この日は、建長寺宝物風入れも開催されており、訪れる人の中には、「これも何かのご緑かも。」といって特産品を買い求めていた。
大震災から2年半を経たが、被災地の復興はままならない状況にあるが、食べて、質って復興支援にというこのプロジェクトに、「来年も来てね」の声が飛ぶ。 |
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2013/9/10
172号 |
六国見山湧水仕込みの地ビール
二代目「北鎌倉の恵み」発売へ
試飲会では「フルーティーでおいしい」の声が |
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炎暑が続く8月24日土曜日午後5時、北鎌倉の山ノ内公会堂で新「北鎌倉の恵み」試飲会が開催された。初代「北鎌倉の恵み」は、2000年12月に市民団体・北鎌倉湧水ネットワークと渇。浜ビールの協働プロジェクトにより誕生、「フルーティで飲みやすく、コクがある」と好評だったが、2011年3月に製造・販売中止となった。それから2年、ぜひ復活をという声が多く、ついに二代目誕生へ。
今回、製造・販売に名乗り出たのが、サンクトガーレン有限会社。「北鎌倉の恵み」の生みの親、北鎌倉湧水ネットワークの野口稔代表は、「そもそもこの協働プロジェクトは、売り上げの一部を街づくりに取り組む市民団体へ寄付するという目的をもって生まれたのです。この考えをご理解いただき、さらにフルーティーでコクがあり、飲みやすいと好評だった初代の味の継承もお願いし、サンクトさんにもご了解いただきました」と語る。
挨拶に立ったサンクトガーレンの岩本伸久社長は、「日本の湧水のほとんどは軟水だが、この北鎌倉の水は硬水で、まさに味わうビールにふさわしい。地ビールによる地域活性化のお役に立てれば嬉しい」と語り、試飲会には、仕込んだばかりの「北鎌倉の恵み」が運ばれ、参加者に振る舞われた。待ってましたとグラスを傾ける参加者たちからは「フルーティーでコクがある」「この苦味は本物」などの声。
330ml 420円(税込)、9月4日よりインターネット販売開始。
問合せ・TEL046−224−2317 サンクトガーレン有限会社 |
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2013/4/10
168号 |
家具転倒抑止で生き残る防災を
鎌倉ガーディアンズが
「突っ張り棒を無償で取り付けます」 |
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東日本人震災から2年を経て、復興はいまだみち半ば。余震が続き、鎌倉も直下型地震などのリスクが音回まっている。防災の備えを怠ってはならない。
東日本大震災は地震、津波、原発が重なり、人災害をもたらした教訓から「生き残る防災への対応が進められているが、忘れてならないのは、阪神淡路大震壁上勝地頃中越沖地震など、過去の震災被害で多数を占めた家具転倒による死傷。
防犯防災のNPO「鎌倉ガーディアンズ」代表の大津定博さんは「逃げるためには地震の揺れで命を落とさない死なない防災=@への対応を急ぐべき」という。
まずは家具の即時転倒を抑止し、転倒までの時間をかせぐ。そのためには家貝を固定すること。天井と家具の隙間に取り付ける家具転倒抑止用の突っ張り棒もその一つだが、高所での作業となり、高齢者や女性には難しい。そこで鎌倉ガーディアンズは、突っ張り棒設置を無料でお手伝いすることにした。
設置には研修を受けた3人前後のメンバーが出向き、家具や天井の状態を確認し、天井の当て板や家目石下にゴム板などを敷き、突っ張り棒を頑丈に固定することで即時転倒が防げる。
突っ張り棒は1セット約2000円で、事前に購入してもらうが、工賃は無料。「鎌倉市内ならどなたでもお宅にお伺いし取り付けます。家具の下敷きで命を落としたりけがをしないためには、転倒に至る時間をかせぐこと。そのためのお力になれれば」と大津さん。期間は4月中旬から1年間。
申込み、問い合わせは、深沢隆史副代表 TEL090−3200−3952。 |
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2013/2/10
166号 |
漁師が語る腰越漁業の今昔に聞き入る
腰越図書館のライプラリーカフェ「腰越漁師物語」は大盛況! |
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2月3日午後5時、「漁師さんの生の話を聞きたい」という人たちが腰越行政センター1階多目的室のライブラリーカフェに集まり、定員の50名をはるかにオーバー、たちまち60余名にふくれ上がった。マイカップ持参でお茶やコーヒーを飲みながらの座談会。話をするのは腰越漁業協同組合組合長の池出利男さんはか浅井春次さん、三浦一俊さんと、腰越漁業を担うベテラン漁師である。
まずは、漁協の始まりから。昭和25年の協同組合法により、それまでの漁業会から漁業協同組合に変わり、組合員に漁業権が与えられる。年間90日以上漁業を営んだ人が漁業協同組合員の資格を得る。現在、腰越には正・準併せて79名の組合員がいる。
10年ごとに漁業権の切り替えが行われる。(定置網と養殖わかめは5年)「網の目の大きさも決められており、魚の種類、時期も決められている。1つ落とすと10年その魚は獲ることができないので神経を使う」と池田さん。漁法も変わり、昔は釣りだったが今は刺し網。
また、漁師は天気予報より天気図を見る。腰越のアジはブランド品で、横浜のすし屋、料理屋に高値で売れる。カツオは燃料が高くなり商売にならず獲らなくなった。
アジは春、サバは秋が旬。魚はスタイルよりも太った魚の方が脂がのっておいしいと、魚の選び方も。ただ、昔のような漁獲量がなく、獲れる魚も偏っており、魚屋は難しい。
後継者についても、「海が好きだけではだめ。海を専門にやるのは難しい」等々、エピソードを交えながら腰越漁業の今昔を語る。
また中央図書館所蔵の昭和40年代の腰越漁港のなつかしい写真も紹介され、会場からは「ほう」という声も。
予定の2時間をオーバーし、ライブラリーカフェは閉店。この日の話は貴重な資料としてまとめられ、配布の予定とか。
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2012/11/10
164号 |
一本の糸が生むテキスタイルアートに魅せられて
「鎌倉で個展を開きたいですね」
テキスタイルアート作家・西田和恵さん(植木在住) |
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「一本の糸を結んだり編んだりして平面にも、立体にもできる。創造性豊か、可能性が広がるんです。そこが魅力で…」と話す西田さん。子供の頃、お母さんのそばで靴下やセーターを一緒に編んだ。「糸や紐でつくるのが好きでした」。編み物、織、そしてマクラメへ。結婚後、講師の資格もとり、マクラメ教室を主宰したことも。でも、対象は衣類やバッグなどの実用品が主だった。
その西田さんをアートの世界にジャンプさせたのは、1989年にご主人の仕事で行ったアメリカ。「アメリカ人の家庭には大きなタペストリーが壁に飾ってあり、テキスタイルアートが生活の中に入っている。それは驚きでしたが、これなら私にもできる、やってみようと思った」。
実用品とは異なるデザインの世界。そこで、NHK学園の抽象画教室や東京テキスタイル研究所の造形教室に通いアート作品への挑戦が始まった。
そして2004年、オブジェ「Thinking」が第68回新制作展入選、「地層」が第63回手工芸美術展に入賞。いまやモダンアート展も含め入賞歴は豊富だ。
ほとんどの作品が仕上げるまで半年はかかるそうだが、作品は増える一方。「いつの間にか客間が作品倉庫になってしまって」と笑う。
写真の「潮騒」(第74回新制作展入選)と「潮海音」(第75回新制作展入選改良作)などは青森の旅行で見た昼と夜の泡立つ日本海からイメージした対の作品。どちらも畳一枚はある大作。「ホテルや施設などに飾っていただくとうれしいのですが」と西田さん。
今まで東京でグループ展を開いてきたが、「できれば鎌倉で個展をひらいてみたい」とも。
一本の紐が生むアートの世界をぜひ公開してもらいたいものだ。
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2012/10/10
163号 |
「夢に一歩踏み出すことによって 人の輪が広がり、すばらしい出会いに」 |
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l0月4日午後、会場の御代川には定員を超える31名が集う。クリスチャンである村田さんのお話は、自らの生い立ちをたどりながら、時に聖書の教えをやさしく説き、聞く人の心に訴えた。
たとえば、新約聖書マタイ25章には、「旅に出る主人が弟子3人に財産を預ける。各々5タラントン(貨幣の意だが転じて才能に)、2タラントン、1タラント。旅から帰った主人に、5タラント、2タラントン預かった者は、倍に増やして返す。この2人はほめた。ところが1タラントン預かった者は失うのが怖くて地中に埋めていたのでそのまま1タラントンを返す。主人は怒り取り上げてしまった」。努力しない者に報いはないというたとえ。
医師を志しながら絵の世界へ‥また大病も。いくつもの挫折を乗り越えてきたのは決して逃げず立ち向かってきたから。
福音書には、「神様のなさることに偶然はなく、すべて必然」とのこと。偶然ととらえると、良いことも偶然で、結果が悪いと運が悪かったと深く考えずに済ませてし事つ。結局、可もなく不可もない人生に。ところが、必然ととらえると物事に真撃な態度で向き合い、人との出会いも敏感になり大切にする。
「夢を持つ。夢があれば希望が持てる。希望があると計画がたち、実行する。反省した実行は実績になり、実績があがれば信用が生まれ、人が集まる。人が集まると夢も広がる」。大事なことは、すべての出会いと真摯にむきあうこと。夢に向かって一歩を踏み出す大切さを胸に、参加者は帰路に。 |
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2012/5/10
159号 |
鎌倉宮がギャラリー「鎌倉宮アートスペース」開設 |
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オープニングには、鎌倉を描き続ける
画家・小川倉一さん奉納の30作品を展示
場所は、太平殿(休憩所)の一角。「深い緑に癒され、お参りして心安らぎ、一休みして絵を鑑賞いただければと思います」と鎌倉宮の船橋信弥宮司。そのきっかけは、鎌倉を描き続け、今年96歳になる水彩画家・小川倉一さんの作品50点の寄贈(奉納)を受けたことによる。
鎌倉を描いた小川さんの作品は1200点を超える。その保存を相談された鎌倉美術連盟代表の蓼沼誠一さんが「何とか後世に残したい」と尽力されてきた。オープニングの5月3日から川日まで「小川倉一水彩画展」が開催され、作品を前に歴史を語り合う姿も見られた。
同ギャラリーでは、小川作品を常設展示するともに、貸しギャラリーとして一般にも開放。「原則として、鎌倉の絵を飾っていきたい」という。 |
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2012/5/10
159号 |
龍寶寺で 玉縄北条氏供養塔移設で魂入れ式
玉縄築城500年を記念し参詣しやすく |
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5月6日10時、植木に建つ玉縄北条の菩提寺龍蜜寺本堂横で、玉縄北条氏供養塔移設による点眼供養(魂入れ)の儀式がとり行われた。
関東進出の拠点として北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築城、その後、綱成、氏繁、氏勝が城主として勇名を轟かせた。龍寶寺は綱成が菩提寺として創建し5百年の歴史を誇り、この供養塔は、四世良順大和和尚が建てたもの。当初は栄光学園内にあったが、造成工事にともない龍寶寺裏の尾根に移設、玉縄城500年を記念し、玉縄歴史の会など有志によってこの度再度の移転となった。「高い尾根では参詣もままならなかったが、本堂横に移り参詣しやすくなった」と喜ぶ関係者の声。
初夏の日差しは汗ばむほど、高くそびえるヒマラヤスギの下、三十三世梅田良光住職の散華、読経、参列者の焼香と儀式は無事終え、歴代玉縄城主の供養塔の魂入れ式が終了した。
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2012/4/10
158号 |
「つまようじで 五重塔も、藁葺きの家も作ります」 藤沢在住の足立幸夫さん |
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高さ15cmほどの五重塔で約100本ほどのつまようじを使用する |
「もともと大工仕事が好きなんですよ」と足立さんはテーブルに並んだ作品を前に照れ笑い。
約20年前、三菱電機鎌倉製作所を定年退職し、いくつか仕事をしたがそれでも時間の余裕が。孫も生まれ、おもちゃ代わりにと、奥さんと一緒に折り紙でくす玉や傘、モビール、ビニールの草履など作ってみた。結構楽しい。そのうち発泡スチロールを加工したミニ庭園も。「でも狭い家ですから置き場所がなくて」。
そんなある日、テレビで貝を貼りわせ家を作ったり、貼り絵にしている場面を見た。「そうだ、つまようじでもできるはず」とひらめく。
材料のつまようじに、細工用の調理ハサミ、接着するための木工用ボンド。この3つがあれば準備完了。
手始めに挑戦したのが、小物入れ。面白い。それからは頭に浮かぶものを次々形にしていく。灯龍、筆立て、花差し、写真立てなど簡単なものから、鶴、亀やペンギンなどの動物、そして水車小屋、五重塔、藁茸きの家など難易度の高い作品へ。
制作のプロセスは、まず頭に浮かんだイメージをサッと描いて、設計図をつくる。そして、細い楊子を一本一本、切ったり、つなぎ合わせて仕上げていく。ニスを塗って出来上がり。完成するまで、五重塔で2〜3日。
「つくり始めると食事も忘れるほど」だとか。
材料費も安く、どれも100円ショップでまに合うものばかり。
「切って貼り付けるだけ。要領がわかれば誰でもできますよ」と足立さんはいとも簡単そうに言うが、どうしてどれも見事な作品。そんな数多い作品のなかでも、自信作は自宅の模型とか。
数年の闘病生活もむなしく、一昨年、最愛の奥さんを亡くした。「寂しいですね。何もしてやれなかった。でも悔やんでばかりしていても‥」。
そこで、このつまようじ細工の楽しさを多くの人に知ってもらえればと、作品ごとの設計図を描いた創作集をまとめようと取り組み始めたところだ。
昭和5年、兵庫県生まれ81才。藤沢市在住。
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2012/4/10
158号 |
坂田庄次さんの急逝を悼む |
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去る3月7日我が友坂田庄次さんが突然亡くなってしまった。
坂田さんは北鎌倉に江戸時代から続く旧家の主で、「北鎌倉まちづくり協議会」、「洞門山を守る会」の会長であった。建築家である彼の専門知識と優れた美意識を縦横に振るって頂き、マンション建設問題、景観問題などを成功に導いてきた。北鎌倉駅傍の森が宅地開発で破壊されそうになり近隣住民が立ち上がったときも会長に推された。森を洞門山と名付けたのも坂田さんであった。粘り強い反対運動のお蔭で、この3月に鎌倉市による買い取りが決まった。
亡くなる数日前のまちづくり協議会の定例会で彼は、東日本大震災の復興案を熱く語った。現地を見て回り高台移転の幻想を悟り、26ページに及ぶ東日本大震災復興提案書「防潮堤を再考せよ」を作成し石巻のロータリークラブの会合で発表し喝采を得たと。3月初旬に石巻市長に面会し提案する運びになっていた、その矢先の突然の死であった。鎌倉にこんな途方も無い夢を抱いた男が居たことを忘れないために一文認めさせて頂いた。
北鎌倉まちづくり協議会 会員 関戸勇
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2012/4/10
158号 |
玉縄城の歴史的遺構
太鼓櫓跡が植木1号市民緑地に |
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玉縄城主三代の菩提寺・龍宮寺前の七曲坂を登りきったとこに小さな丘がある。ここが太鼓櫓跡で、現在の地権者は小坂氏。今年11月、500年祭実行委員会が進める「玉縄城築城500年祭」が開催されるが、この地は「玉縄城を偲ぶご登城コース」の重要な拠点となっている。そこで、玉縄城址まちづくり会議を中心にこの地を市民緑地公園にするための働きかけを行ってきた。この度、小坂氏と市の契約により、「植木1号市民緑地」として整備され、いこいの場に。
4月4日、鎌倉市の大谷雅実副市長、隣接の町内会長、住民等による開設式が行われた。
祝辞を述べた大谷副市長からは「地域の歴史再発見のモデルだ。子どもたちも歴史を学んで育ってほしい。公園のニックネームをつけられたら」という提案も。
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2012/2/10
156号 |
心にしみ入るギター、尺八と二胡の共演
塚原さん夫妻が「二人音(ふたりね)」で第2の人生 |
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息もピッタリ「二人音」のギターと二胡の演奏 |
せつない、やるせない、そんな心をゆさぶる二胡とギターの調べが、一枚のデモCDから流れる。曲は「君は心の妻だから」。演奏するのは、「二人音(ふたりね)」。塚原盛(ギター)さん、塚原晶子さん(二胡)の夫婦デュオだ。
3月に「時空間I」〜音に魂をこめて〜というタイトルで商品化が決まったこのCDには、他に「君恋し」、「北上夜曲」、「シクラメンのかほり」、「北の旅人」、「つぐない」、「あざみの歌」、「リンゴ追分」と中高年が口ずさむなつかしい歌謡曲。そして盛(せい)さんの尺八、晶子(しょうこ)さんの二胡で「南部牛迫唄」、「津軽山唄」の民謡も2曲入っている。
「二人音」誕生のきっかけはまさに“ひょうたんから駒”だった。「だって、30年余東京で薬局を経営しているおやじさんでしたから」と盛さん。大型店化の影響で薬局経営も厳しく、廃業を考えていた時、知人に、小学生の頃からクラツシックギターを学び、学生時代にはギター教師も経験、25歳の頃から尺八も習ってきた。晶子さんも東邦音楽短期大学ピアノ科の卒業。二胡との出合いは、中国人の友人の影響で、10年前から中国人の先生に師事してきた。そんな話をポロリとしたところ、「それはおもしろい。ふたりで演奏してみたら」という話に。押し入れでホコりをを被っていたギターを取り出し、30年ぶりに弾いてみた。
晶子さんがアレンジした二胡との共演も評判がよかった。ほとんどがボランティアで、頼まれると演奏をしてきた。客席を見ると、奏でる音に合わせ口ずさむ人、目に涙を浮かべる人、手をあわせじっと聞き入る人も。
そんな姿に2人は感動した。娘さんからも「魂を響かせるような音」と好評価。「中高年をターゲットに、心にしみ入る曲を演奏していきたい」という思いは強まる。
住まいは佐助、「二人音」の名付け親は近所の喫茶店cocokaraのオーナー樋口八也さん。「本当に皆さんの強い後押しがあって、思いがけない第二の人生になりました」と盛さん。
3月11日には、東京・江戸川区の450人の会場タワーホールで震災複興支援コンサートで演奏。56歳プロとしての本格活動がいよいよ始まる。
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2011/12/10
155号 |
鎌倉産新鮮野菜は大人気
今年も盛況でした!
秋の収穫まつり |
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お馴染みとなった秋の収穫まつりが11月27日の日曜日、大船中学校で開
催された。小春日和に恵まれ、9時オープンを待ちきれず三菱電機大船製作所前には車が並び、会場はたちまち人・人・人。
「採れたてですよ。安くて、おいしいから鍋料理にどう」といった農家の人たちの元気な声に、次々鎌倉産の野菜が売れる。歩を進めると花のコーナー、腰越漁協の海産物販売、2匹の羊まで登場の羊毛手作り品の店、さらに1回100円のお米すくいや1袋詰め放題300円のみかんには長い列が。
会場人目では津餅搗唄保存会の唄声とともに餅つき実演、からみ餅、きなこ餅がふるまわれ、鎌倉市優良農林漁業者等及び農産物品評会入賞者表彰式会場の体育館には、品評会出品作品の見事な野菜ずらりと並ぶ。
東日本大震災の復興支援で、福島県、岩手県の物産も販売。売り上げの一部が被災地に届けられる。午後1時、賑やかに秋の収穫まつりは終了。 |
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2011/12/10
155号 |
鎌倉生涯学習センター前で
平和の鐘を鳴らそう!2011 |
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国連が2001年から10年間を「世界のこどもたちのための平和の文化と非暴力の国際10年」と定めたが、日本のユネスコ協会も呼応し「平和の鐘を鳴らそう⊥運動がスタートした。鎌倉ユネスコ協会は2004年から参加、今年で7回目。
11月26日11時30分会場の生涯学習センター前には、平和の鐘となる小さな梵鐘が置かれ、横浜国大附属中学校の生徒が鎌倉市の「平和都市宣亘」、その後、ノーベル平和賞受賞者たちが起草した「わたしの平和宣言」の朗読が、日本語(清泉女子大学)、韓国語とタイ語を(七里ガ浜高校各留学生)、中国語(清泉女子大学留学生)が各国語で読み上げ、それぞれ平和の鐘が鳴らされた。正午には、この運動に参加する市内13の寺院と雪ノ下カトリック教会も平和への祈りと願いを込めて、一斉に鍾を鳴らした。
玉縄中学校生徒のミュージックベル、第一中学校生徒のトーンチャイムのさわやかな演奏と続き、内海恒雄鎌倉世界遺産登録推進協議会広報部会長が「鎌倉の平和都市宣言は日本初、古都保存法も鎌倉から、このような精神が鎌倉の世界遺産登録にもつながっている」とスピーチ。12時30分に閉幕した。 |
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2011/11/10
154号 |
湘南鎌倉総合病院岡本移転1周年で
「吉川久子のマタニティ・フルートコンサート」開催 |
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11月5日、湘南鎌倉総合病院が岡本に移転してから1周年を記念し、同院講堂で「吉川久子のマタニティ・フルートコンサート」が開催された。
鎌倉市に産婦人科はティアラ鎌倉とこの湘南鎌倉総合病院しかない。それも同病院から年間1000を超える赤ちゃんが誕生しているという。そこで、フルート奏者・吉川久子さんが25年余続けてきたマタニティコンサートを1周年記念行事の一つに。鎌倉で育った吉川さんだが、「鎌倉でのマタニティコンサートは初めて」だとか。
会場は、ご主人と一緒のお腹の大きなプレママ、この病院で出産し1、2歳の子ども連れのお母さんたち、なかには赤ちゃんを抱えたおばあさんの姿も。
グノーとシューベルトの「アヴエ・マリア」に始まったフルートの調べが会場を包む、時折赤ちやんの泣き声、子どものおしゃべりも加わって、マタニティコンサートならではの和やかな雰囲気。「フルートは母親の声の音域に近く、お腹の赤ちゃんも聞いています」など、演奏の合間の吉川さんのトークに会場のママ、プレママもうなずいたり笑ったり。日本の子守歌、抒情歌、から「新世界」、「白鳥」のフルートの優しい音色とトークで楽しいひとときはあっという間に終わりに。
ボランティアコンサートにも熱心に取り組んできた吉川さんは、11月29日(日)午後2時から、城廻の介護施設「ささりんどう鎌倉」でも演奏する。こちらも、ささりんどう鎌倉のおとしよりとその家族はじめ、地域の人など誰でも参加できるコンサートだとか。(一般は2000円、問合せ・施設長マシュウさんTEL42−3701) |
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2011/6/10
150号 |
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去る5月29日、雨に濡れるバラの庭に包まれた鎌倉文学館で、鎌倉俳句&ハイク年間大賞(平成22年2月1日〜23年1月末)の授賞式が開催された。全投句数8、137句の中から最優秀賞に選ばれたのが、標題の兵藤寿憲さんの句。
「私は円覚寺の上の高野台に住んでおり、散歩すると円覚寺から読経や木魚の音が聞こえてくる
のですよ。この句は秋の澄み切った朝詠みました。こんな賞をいただいて夢のようです」と語る兵藤さんは、俳句歴約40年、85歳。足腰は弱ったが、数年前まで車も運転していたという。
「朝早くおいしい空気を吸いながら腰痛体操しています。吟行であちこち行くし、仲間と話すのが大好き」。句会では、皆から頼まれ司会も詠み合いもするのだとか。
実は兵藤さんは短歌もつくる。実朝祭でも何度も人選しており、ご主人を亡くされた悲しみを句歌集「死別を超えて」にまとめ出版したことも。
友人、知人は全国に。それどころか外国からの来客も多い。「千客万来なんですよ」とやさしい笑顔。縁側からは真正面に富士山が。富士山を見ることのない九州や北海道の知人から頼まれ、正月は富士山の句や歌をつくり送っているそうだ。
「でも、最近は言菜がなかなか出て来ないのよ。師匠から言われた継続は力をモットーに句作に取り組んでいます」。
とはいいつつ最近発表の平成23年度春季 鎌倉俳句&ハイク(季節「春」)に投句した「喝采を浴びて古刹の大桜」が人選した。 |
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2011/4/10
148号 |
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鎌倉通″の登竜門ともいえる鎌倉検定。今年で5回目を迎える。検定受験生の予備校的存在が検定市民の会で、「歩き学び塾」を開催。この鎌倉検定を仕掛け市民の会代表をつとめる大津さんにお話を…。
きっかけは家族で訪れた京都旅行。そこで京都検定の存在を知る。「鎌倉でもやったら面白そうね」と話がはずみ、賛同者とともに「鎌倉検定の実現を目指す会」を立ち上げた。「全国に鎌倉フアンを増やし、市民には鎌倉の魅力を再発見してもらう。そのツールになればいいなと」。
やる以上は鎌倉商工会議所主催でなければということから商議所、市、観光協会などに働きかけ実現に。
こうして2007年第1回鎌倉検定がスタート。検定ブームのさ中ということもあり、受験者は1248人にも上った。
スタートを機に目指す会″も市民の会に名称変更、3級合格者を増やし、検定の底上げを図ろうと「鎌倉検定歩き学び塾」を発足させた。毎月第一土曜日、午前中が学び塾、午後が歩き塾で、市内の神社仏閣、名所を講師とともに見学する。70名の塾生の3分2は男性、中高年が多い。
「歴史好きは男性の方が多いのでしょうね。」
今年で3年目になるが、「最近は予備校化しているかな」とも。大津さんも昨年検定に挑戦、見事3級合格を果たした。
7月には第5回鎌倉検定試験が実施され、9月に新しい塾生も募集。
「若い人、女性などもっと裾野を広げたい」。
しかし、ブームが去り、近年は検定受検者も減り気味。鎌倉を良く知るフアンを1人でも多く増やしていくためにも、ブームで終わらせたくないという思いが強い。「資格取得者に何か特典がつく仕組みが作れないかなと思っているんです」。
新潟生まれ、鎌倉が大好きで銀行マンのご主人大津定博さん(鎌倉ガーディアンズ、犯罪から鎌倉を守る会代表)を説得、遠距離通勤を強いてまで埼玉から引っ越してきた大津さん。「尽きることのない鎌倉の魅力を掘り起こし、伝えるためにも検定をもっと実のあるものにしていきたいですね」と目を輝かせた。
■鎌倉検定市民の会
TEL080−6658−9257
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2010/10/10
143号 |
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