NO191   2015/7/10掲載
 
 

 − 毎年開かれる円覚寺夏期講座も80回。ということはスタートは昭和10年ということですか。
朝比奈 実は夏期講座の資料があまりないのです。戦時中に1回休んだという記録もありますから、昭和10年より前にスタートしていることは間違いありません。

 − 講座開設の意図は。
朝比奈 仏教について、また広く人間一般について知る機会を提供しようということです。当然、より親しみをもってお寺に参詣していただくきっかけになればという思いもあるでしょうね。

 − 講座の形式は変わっていませんか。
朝比奈 はい。3講座のうち、最初に円覚寺管長の講話があり、その後、各講師の先生にお話いただいております。最初の頃は5日間やっていましたから、講師も10人となっています。 講師の先生方の芳名録がありますが、錚々たる方にご登場いただいています。鈴木大拙さんや、三笠宮の名もあります。

 − 会場は大方丈ですが、毎回いっぱいですね。
朝比奈 講師によって500〜600人、多い方は1000人を超えます。近年では小泉純一郎さんがすごかった。1200人ほどで、入場をお断りする方も出るなどかってないことでした。姜尚中さんの時も1000人位。大方丈に入り切れない方は2階の1室で映像と音声で聴講された方が200人程いたので、講演後姜さんにお願いし顔を出していただいた。姜さんもびっくりして深々と頭を下げられました。ご婦人方もキャーツと喜こんで……。

 − 講演依頼も大変でしょうね。
朝比奈 学者、芸術関係、政治、ジャーナリスト、食や医療関係など、できるだけ幅広い分野から選ぶようにしております。もちろん簡単ではありませんが、夏期講座をご存知の方もおり、ついに声がかかったと喜ばれることもあります。禅宗はお祈りやお経を読ませることもなく、抹香臭さもないので、今回のように、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司やシスターの渡辺和子先生にもご登場いただける。80回も続いて伝統ある行事だけに、責任の重さを感じますね。

 
   
 
NO185   2014/12/10掲載
 
 

 − 撮影対象は、鎌倉であればどこでもいいということですね。
十文字 そうです。藤沢・逗子はだめということです。よく間違われるのが江ノ島。江ノ島は藤沢市ですから。でも、被写体としてではなく風景の一部に入っているならいいと思います。これは鎌倉の写真だよねとイメージされればいいわけで、そのあたりは僕の方で判断しています。

 − 「プロモーションと謳うからには、鎌倉を宣伝することが主眼?
十文字 というより、一番期待するのは新しい鎌倉像ですね。「えっ、こんな鎌倉があるんだ」といった鎌倉発見があるとうれしい。風景とか神社仏閣だけでなく、人の喜びや感動が伝わる作品ですね。
鎌倉は歴史もあり、海山あり、神社仏閣も多い、シーズンによっても変わりますし、暮らす人、訪れる人、老若男女が揃っていて被写体には事欠かない。たくさんの応募があるとうれしいですね。

 − 選定はどのように。
十文字 なにしろ一千数百点集まる。まず、観光協会の方で、基準にはずれているか否かをチェックし、それ以外をプリントして、そこから選定が行われます。ですが、レベルの差がないだけに何日問も眺めて鎌倉の魅力、発見が少しでも感じられるものを選んでいます。誰が見ても一緒というのではないものをね。
昨年のグランプリ作品は、流鏑馬が終わりホッとして由比ガ浜海岸を歩いている射手の姿を撮影したもので、感動しました。

 − ところで、十文字さんは受賞歴も多く、哲学的というか、精神性の高いテーマの作品が多く非常にユニークです。「untitled」(首なし)は、すべて首から下を撮っている。「世界の批評家が選んだ写真展」(アメリカ・ネイクルグギャラリー)にも出展されていますね。
十文字 僕が写真家になった24歳の最初の作品ですね。普通、人はまず顔ですよね。顔がなかったら写真にならないというが、果たしてそうだろうか。やってみないとわからないということで撮ってみた。全部説明してしまわないで、写真に写っていないところ、見えていないところを見る人に想像させる。それがとても大事なことなのかもしれないと思ったのです。
当時は、50年も前で、どれだけ迫力のあるものを撮るかという、土門拳や秋山庄太郎の時代ですからね。その時代に、写っていないものは何かを考える写真家はいなかったですよ(笑)。

 − では、十文字さんにとって写真とは。
十文字 人間の目では見きれない、想像できないものをカメラという機械を使って想像し、見るということかな。カメラはそういう想像力をかきたてる道具なんです。

−デジカメとなってそれはやりやすくなりましたか。
十文字 なりましたが、その一方で、僕はフィルムで育っているのでフィルムに対する愛着がある。自分好みの色調とか、空間表現のディテールというか、ニュアンスがあるのだが、デジタルはアイマイが許されない。とはいえ、経済的理由などからフィルムは衰退し、デジタルが主流となっていくのは時代の流れです。その中で、デジタルはいやで自分はフィルムだとこだわるのは回顧であり、ロマンティシズム。それはそれでいいですが、僕はむしろ積極的に関わっていきたい。
デジタル一眼レフのスチールカメラで動画を撮ったのは僕が世界最初です。新しい機材が結構好きなんですよ。ただ、気をつけなければいけないのは、機材が撮ってしまうことです。自分の眼というか思いが後になってしまってね。そうならないような、思いが先にある作品を撮ってほしい。
今は、ドラマが避けられる傾向にあるけど、ドラマチックなものに果敢に挑戦し、360度、上下左右、さまざまな角度から鎌倉を撮ってほしいですね。

 
   
 
NO182   2014/9/10掲載
 
 


− 8月21日に「北鎌倉さとやま連合会」が発足しましたが、目的は
梅澤 ご存知のように、北鎌倉駅に立つとぐるりと緑に囲まれた里山なんですよ。この北鎌倉の緑を守り、後世に残そうと活動している団体がいくつかあって、活動の内容はそれぞれ違っても目的とするところは変わらないんですね。それなら北鎌倉を拠点に活動している5つの団体(下記)が、できることは一緒にやろうよという話になり連合会へと発展していったわけです。

 − 具体的な活動は。
梅澤 統一目標として「荒廃した鎌倉の里山の再生」を掲げ、お互いが協力し合っていきましょうということで、@鎌倉を中心とした鎌倉の里山の手入れ、A里山に関する調査・研究、情報交換、提言、B活動への理解、支援を得るためのイベントの開催−などの事業を展開してまいります。

 − いつごろからこの話が。
梅澤 ちょうど1年位前かな。というより、狭い地域でしょう、さまざまなイベントで顔を合わせたりするうちに、時には「手伝いますよ」とか、「こんなことをやるから来てください」などといった話もするようになって、部分的に付き合うことはあったのです。そんな下地があったことがこのような形に発展したということですね。
とはいっても、それぞれ団体活動の趣旨が違いますからね。そこで、共通の目標を掲げながら、協力できることは協力しましょうという、ゆるやかな連合組織なんですよ。

 − 梅澤さんは台峯緑地保全会の代表ですが、その活動は。
梅澤 台峯は台・山ノ内・山崎・梶原の市街地に囲まれた緑地で、わが家は代々、この地に暮らし、生活の場でもあった。ほとんどが農地でした。それが、今は大半が公有地や企業の所有で、手入れもされず荒廃しつつある。これではいけない、本来の豊かな里山の景観を蘇らそうということで、有志が集まり手入れを行っているのです。
カブトムシがとれる里にとクヌギを植えたり、子どもの頃我々あそび場だったこの土地に、地域の子どもたちが遊べるようにブランコをつくったり、初日の出を拝む、親子餅つき、野遊び、お月見などさまざまなイベントも企画してやっています。
この台峯から駅を挟んで六国見山があり、また明月谷戸もある。北鎌倉湧水ネットワークや北鎌倉明月荘の会の活動拠点で、それぞれが目と鼻の先なんです。それなら協力し合っていこうとなるのは自然の成り行きなんですね。市は台峯の風致公園化による緑地保全を目指し、市民ボランティアと連携して管理・保全を行っていく方針です。この問題でも、われわれ連合会として取り組むことで、よりパワーが発揮できると思うのです。NPO法人登録も検討しようと計画しています。

 − この会に入るには。
梅澤 「北鎌倉さとやま連合会」は団体参加が原則です。個人はサポーターとして、台峯緑地保全会、北鎌倉湧水ネットワーク、北鎌倉明月荘の会の定例手入れに参加していただければと思います。若い人大歓迎ですよ。

 
   
     
   
 
NO179   2014/5/10掲載
 
 

 − 鎌倉市文化協会の創立50周年ということは設立が昭和39年、東京オリンピック開催の年ですね。
奴田 この年はいろいろな団体が誕生しているのですよ。鎌倉市老人クラブ連合会もその一つで、私はこちらの会長でもあるんです。 文化協会は、鎌倉市の文化の発展向上に資することを目的に、文化団体相互の連携を図り、親睦を深めていこうというのが設立趣旨です。当初は7、8団体でスタートしており、現在は21団体が加盟しております。

 − 50周年というわりには、市民にはあまり知られていないのでは。
奴田 そうなんですよ。というのも文化事業を後援、応援し、協力していくのが主たる役割ですからね。
その中心事業は、9月から12月まで100日も続く鎌倉市市民文化祭。主催は市ですが、文化協会は企画運営面で主導的役割を担っています。市民が身近に鎌倉の文化、芸術、伝統工芸などに親しむ最大のイベントですからね。

 − 昨年からは、新春ギヤラリー展も市から文化協会主催になりましたね。
奴田 市は財政が厳しいので止めるというので、私どもが引き継ぎやることになったのです。来年は鎌倉彫の作品展。明治、大正生まれの作家の作品を集め展示します。小田原の工芸センターに保存されている県や市の依頼で制作した作品、市長室の菊の作品や市役所ロビーの流鏑馬も予定しており、鎌倉彫工芸館所蔵作品、組合員所有作品なども一堂に集め、市民に見ていただこうという企画です。ご期待ください。

 − まさにこれぞ鎌倉彫ということですね。文化協会が前面に出ることによって企画に広がりが出て来ました。50周年式典は。
奴田 鎌倉出身の元NHK副会長の今井義典さんの講演やアトラクションなどを用意し、6月6日に記念祝賀会を開催いたします。

 
   
 
NO173   2013/10/10掲載
 
 
集いの場であり、 地域にも開放されていたお寺を。
そのきっかけになればいい。

 − 円覚寺は鎌倉五山の第二位、開基は北条時宗公で、元寇の戦没者追悼のために建てられたお寺。そして、この佛日庵は時宗公を祀る塔頭です。その住職が「北鎌倉 お坊さん☆アカデミー」を設立し、さまざまなイベント活動に取り組んでおられます。そのきっかけは。
高畠 もともとお寺というのは信仰の場であるとともに、文化発信の場だったのです。臨済宗によって定着した茶道などはその代表的なものです。そして、お寺は集いの場でもあり、地域にも開放されていた。それがいつからかお寺が敷居の高い場になって、法事の時くらいしか訪れない。お寺も保守的になって、それが当たり前のようになってしまったのです。

 − 葬式仏教という言葉がありますが、確かに、お寺に行くのは法事、葬儀の時くらいです。
高畠 皆さんもお寺はそういうところと思っている。たとえば初詣といえば、本来檀家の人は菩提寺の本尊にご挨拶をしご自身のお墓に詣でることなんです。ところが誰もが神社に行くし、それがおかしいと思わないですね。
このままだとお寺は衰退してしまう。お寺はもっと身近な存在だったはずです。気軽にお寺にきてほしい。「北鎌倉 お坊さん☆アカデミー」は皆さんが楽しそうだ、おもしろそうだ、行ってみようかとお寺に来ていただくきっかけになればという思いで始めました。

 − ネーミングもユニーク。由緒あるお寺だけに抵抗もあるのでは。
高畠 ありますね。でも新しいものと古いものとが混合して時代は流れて行くのです。伝統を守り生かすには、何かを壊さなければできません。よそ者、若者、馬鹿者が変えていくともいわれますから(笑)。

 − ボサノバライブに始まり立川志の輔、林家木久蔵、桂春蝶などの落語会、片岡鶴太郎のお話会、ニュースキャスター羽佐間正雄VS草野仁師弟二人会等々、企画も斬新ですね。
高畠 2011年より始めてイベントも15回になりますが、たくさんの反響をいただきました。
そこからお寺への関心やつながりが生まれ、心のよりどころになればいいなと思うんです。このような企画ができるのも、プロデュースをお願いしている放送作家で作詞家、作曲家の植竹公和さんのおかげ、感謝しています。
テレビ東京放送の「出没 アド街ック天国」で6月に北鎌倉が放映され、佛日庵や「北鎌倉 お坊さん☆アカデミー」も登場しましたが、実はこの時、プロ歌手だった妻(薫さん)も植竹さんの作詩作曲で「ラプソディ・イン・北鎌倉」を歌ったんですよ(笑)。

 − 北鎌倉PRに一役ですねい
高畠 北鎌倉は観光客の下車駅になっていますが、活性化するために何かやりたい。
来年は、北鎌倉野菜をつくろうと計画しているんです。地域の人と一緒に、耕したり、水やりして育った野菜を北鎌倉に訪れる方にも食べていただければいいなと思うんですよ。

 − 10月30日から、「華道歴30周年記念 假屋崎省吾の世界」も開催されますね。
高畠 人気の華道家ですからどれだけの人が来られるか。円覚寺の風入れや鎌倉芸術祭と重なるので、ちょっと心配なんですよ。

■「華道歴30周年記念 假屋崎省吾の世界〜百花絢欄〜」 10月30日(水)〜11月8日(金)
会場・佛日庵 入場料・当日800円(円覚寺拝観料別途)
問合せ・TEL0467−84−7776


 
     
 
NO171   2013/7/10掲載
 
 

鎌倉も他人ごとではない。映画を 通して自助・共助を考えてほしい。 被災した福島、宮城、岩手3県でひたむきに生きる人たちのドキュメンタリーなんです。

 − ALL鎌倉映画祭開催のきっかけは。
酒井 私は、2011年3月11日の東日本大震災から9日目に被災地に向かいました。ガソリンもなく電気も止まっているなか、まさに無我夢中、とにかく北へと車を走らせたのです。被災地に着くと、テレビで見た切り取られた光景が見渡す限り広がっていた、ビックリしましたね。そのなかでも津波の被害の大きかった宮城県南三極町の避難所で医療支喝一晩中診察を続けました。しかし、寝たきりや障害をもって避難所に来れない方がいる。そういう方の往診も行いました。この支援を通じてさまざまな人と出会い、逆に励まされたのです。
私も講演などで現地の状況をお話するんですが、言葉では伝えきれないところがいっぱいあるんですね。ですが、被災から2年が過ぎマスコミの報道も減り、人々の関心も薄れつつある。とくに今年の3・11以後は、急速にしぼんできた。このままだと風化してしまいます。

 − もどかしい思いをされてきた。
酒井 はい。ですが、2年を経て、いいドキュメンタリー映画が次々制作されています。私たちの知らない、報道されていない、30秒ほどのニュースでは伝わらない被災地の現実、人々の思いをこれらの映画から伝えることができればというのが今回の映画祭開催の動機です。

 − 3本を選ばれたのは。
酒井 それぞれテーマも地域も違う3本やることに意義がある。それに11日の開催にこだわりました。
「逃げ遅れる人々」は福島で被災した障害を持つ方々とそこに関わる人々の証言によるドキユメント。「うたごころ」は宮城県で自宅を津波で失って、ひたむきに生きる女子高校生が、合唱を通してプロボーカリストと絆を深めるドキュメンタリー。「先祖になる」は岩手県陸前高田市で農作業に従事しながら、津波で流された家の再建を目指す老人を描いたドキュメンタリーです。テーマは違いますが、被災した福島、宮城、岩手でひたむきに生きる人たちを掘り続けたものです。上映後に、監督のスピーチもある。映画をつくった思いをぜひ聞いてほしいですね。

 − 「3・11を忘れない」、「映画で考える自助・共助」を謳っていますね。鎌倉でも7月3日には最大クラスの津波の来襲を想定した沿岸部一斉避難訓練も実施されました。
酒井 そうなんです。鎌倉も決して他人ごとではない。往診で回る度に、ここが津波に襲われたらどうなるか。その時の光景が南三陸と重なって見えるんです。そのような時こそ自助・共助なんです。それをこの映画を通じて考えるきっかけになればと思うのですね。

 − それは鎌倉に震災銭湯をつくる会の活動にもつながりますね。
酒井 そうなんです。私の祖父母は「松の湯」という銭湯を営んでいて、私もそこで育った。まさに世代を超えた交流の場だったのですね。銭湯で学んだことが私の原点。震災銭湯は避難所にも、コミュニティの場にもなる。自助・共助もそこで生まれるんです。

◆問合せ・TEL0467・47・1368      http://www.shinsai1010.com

●チケットは、ファミリーマート、インターネット (イープラス)、さかい内科・胃腸科クリニック、曲森井店、たらは調房、松林堂書店で。

 
   
 
NO170   2013/6/10掲載
 
 
  9月1日スタート。取扱登録店募集中!
しくみはできたので、知恵と工夫で
売上げアップにつなげてほしい。


 − 「かまくらプレミアム商品券」発行のきっかけは?
波多辺 消費税増税です。予定では、来年(平成26年)4月に3%アップし8%、27年10月にはさらに2%上げて10%ということですが、景気は上向いてきたといっても、地方や中小企業には良くなったという実感はありません。そこに消費税アップとなれば、市民の購買意欲は減退し、消費の落ち込みが予想されます。何とか市民の購買意欲の低下を抑え、地元経済が元気に成長してほしい、そのきっかけになればということでプレミアム商品券導入を実施しようということになったのです。

 − 具体的な中身は?
波多辺 まず発行総額は13億2千万円。これを3回に分け実施します。ということは1回が4億4千万円。各回の実施期間は、第1回が今年の9月1日(日)〜12月31日(火)、第2回が平成26年4月1日(火)〜7月31日末)、第3回が平成27年10月1日(木)〜平成28年1月31日(日)、足掛け4年にわたる事業となります。

 − 鎌倉市からも助成金が。
波多辺 はい。プレミアム分を1回につき4千万円、3回ですから総額1億2千万円を助成していただきました。

 − 販売の対象はもちろん市民
波多辺 鎌倉市民にメリットを享受してもらうわけですからね。つまり1000円券11枚つづり1冊11、000円分の商品券を10、000円で販売します。1人5冊まで、ということは最高55、000円分が5万円で購入できることになります。販売開始日は各回ごとに決め、第1回目は、8月24日の土曜日を予定。販売場所は、湘南信用金庫の鎌倉市内5支店(鎌倉営業部・鎌倉駅前・大船・深沢・腰越の各支店)、鎌倉商工会議所(本所・大船支所)、鎌倉市観光協会。実は、土曜日は金融機関の休業日ですが、平日だと共働きの方は不利になるので、金融機関の協力であえて取扱いをお願いしました。多くの市民に享受していただきたいですからね。

 − しかし、使える商店が多くないと魅力も薄れますね。
波多辺 そこなんですよ。いま鎌倉市内で小売・飲食・サービスなどの事業者を対象にプレミアム商品券取扱登録店を募集中ですが、できるだけ多くの事業者に参加してほしい。まずは、登録していただかないと、お金が流れませんから。すでに第1回目説明会を鎌倉市商店街連合会加盟市内29の商店街の役員にご説明しましたが、募集要項を全加盟店に配るからと皆さん積極的でした。第2回目は6月10日(月)15:00〜16:00に鎌倉商工会議所地下ホールで、第3回を6月13日(木)19:00〜20:00鎌倉芸術館集会室で行います。ぜひ多くの事業者に参加していただきたいですね。
そして、このプレミアム商品券をひとつのきっかけにして、各事業者の方も知恵を出して売上アップにつながる工夫をしていただきたい。しくみは創りましたから、知恵と工夫で、ぜひ使い勝手のいい商品券として活用してほしいのですよ。

■問合せ・かまくらプレミアム商品券実行委員会事務局 TEL23−2561

 
 
NO169   2013/5/10掲載
 
 

 − 世界文化遺産登録を目指してきた鎌倉について国際記念物遺跡会議(イコモス)がユネスコに「不登録」を勧告しました。率直な感想は。
内海 残念です。「鎌倉の武家による政治と文化の伝統は疑いなく」と評価しながら、物的証拠の不足が指摘されました。私はその一番のポイントは、かんじんの鎌倉幕府跡がはっきりしないことだと思います。武家館跡も常盤亭だけでなく他にもたくさんある。それをもっとクローズアップさせれば良かったが、できなかった。

 − 屋敷跡はなくとも鎌倉には武家文化を受け継ぐ寺社が多数あります。
内海 ただ、建築物ではだめなんです。調査員の王力軍さんは建築の専門家で、平泉・中尊寺の金色堂ですら登録延期でしたからね。金色堂に勝るものは日本中探してもない。その厳しい目で見た時、建長寺、円覚寺のような建物は中国にもある。鎌倉らしさを強調するには建築では勝負にならない。それを乗り越えた文化的価値というと建長寺に始まり円党寺に引き継がれ瑞泉寺で完成する禅宗庭園があります。これは鎌倉が元祖なんです。
ただ、イコモスの方々が一様に感動したのが、鎌倉は武家の古都ということで中世の城塞都市と思って来たら、大仏も社も後ろに山があって緑に囲まれている。これはすごいと言っていました。まさに古都保存法のたまものなんですね。

 − それにしても「武家の古都」はなかなか理解されなかったということですかね。
内海 武家の古都のイメージを“home of the samurai”としてしまった。これがなさけない。サムライだと江戸時代の腹切りのサムライになってしまう。
武家は武士ではない。天皇から政を任された源氏、平家ということで、801年も続いた武家政権をつくった武家文化についてもっと丁寧に説明すべきでした。
そのためにも鎌倉時代の生活がわかる世界遺産のガイダンス施設がほしいのです。

 − 登録は難しいとなるとこれからは。
内海 不登録となっても暫定登録は生きていますから、とりあえず引き下げるということですね。市民としてもここが正念場です。中世の文化遺産をまちづくりのためのステップととらえ、行政も市民も一緒にまちづくりを進めていけばいい。
今回の落選は、国際観光都市として、市民が誇りを持っていいまちをつくるチャンスととらえたいですね。

 
   
 
NO168   2013/4/10掲載
 
 

 − 20周年を迎えた鎌倉美術館てすが、特別の企画は?
竹田 2月に平成25年度の主催公演を発表いたしましたが、より企画内容に力を入れ、そして5月12日には大船まつり共催企画として、全館無料のオープンハウスを開催します。実は、芸術館のある地元の大船まつりも今年10周年なんですね。そこで、芸術館20周年と連動しましょうということで、同時開催としました。

 − 全館無料、入場自由ということですか。
竹田 そうです。この日は、大ホールで鎌倉交響楽団スプリング・コンサート(13時〜14時)、終演後は楽器体験コーナーで、演奏者がインストラクターとなって皆様には白山に楽器に触れてもらいます。また、小ホールでは、文学座の望月純吉さんを講師に、身体を動かして表現力を高める「身体を動かそう!・シアターゲーム」を1日2回(11時〜と14時30分〜)開催します。
屋内吹き抜けのエントランス、ホワイ工では一般市民によるパフォーマンスが見られます。出演者を募集したところ思いがけない反響で、日舞、尺八、フラダンス、ジャズバンド、ゴスペル等々、オープンから閉幕まで、さまざまなパフォーマンスが楽しめますよ。このほか、ギャラリーでは大船の歴史を振り返る「大船の歴史写真展」、お絵かきコーナーもありますので、お子様からお年寄りまで楽しんでいただければと思います。

 − 芸術館は敷居が高いので、という人も気楽に楽しめますね。
竹田 はい。この際、芸術館のすべてを見ていただこうということです。大船まつりにいらっしゃるカが、芸術館まで足を運んで、見て、知って、楽しんでいただければ嬉しいですね。

 − 他には。
竹田 東京バレエ団「ジゼル」公演を行います。プリマの上野水香さんは国内外で活躍するバレリーナで、しかも鎌倉出身なんです。鎌倉は近代バレエの発祥地でもあり、地元出身の上野さんにご出演いただきたいと温めていた企画が、20周年の今年、実現します

 − 鎌倉にちなんだ企画、出演者も鎌倉在住が目につきます。
竹田 20周年ですが、当グループが鎌倉市芸術文化振興財団から引き継ぎ、指定管理者として運営するようになって8年目です。以前も、非常に良い企画で運営しており、クラシック音楽や伝統芸能をバランスよく構成しているところは継承しています。その中で、独白の教育プロジェクトや地元演奏家による公演を企画しています。
− 出演者の鎌倉の観客に対する評価はいかがですか。
竹田 公演後、出演者の方とお話しするのですが、皆さん口を揃えてお客様の質が高く、演奏のしがいがあるとおっしゃいます。私どもでは教育プロジェクトにも力を入れており、その一つ、指揮者の小澤征爾さんが塾長を務める小澤征爾音楽塾のオーケストラ公演を3月に行いましたが、小澤先生も鎌倉のお客様を高く評価されていました。
また当館は1500席の大ホールと600席の小ホールのほか、ギャラリーや様々な諸室を備えていますが、いずれも稼働率は高く、市民の皆様の文化への関心の高さがうかがえます。

− 先ほどはどの教育プロジェクトでもそうですが、次代の育成にも力を入れていますね。
竹田 若い人たちに芸術館、また音楽に親しんでもらおうということで、「芸術館シート」を設け、主催公演では小学4年生〜中学生を対象に抽選で無料招待しています。また、小学生から高校生までを対象にした学生席は、半額でお求めいただけます。

 − ところで、芸術館も20歳となりました。これからの展開は。
竹田 これまでご愛顧いただいているお客様を大切にするのはもちろんですが、さらにすそ野を広げ、さまざまな方に来館いただきたい。それに全市あげての企画、たとえば、川喜多映画記念館や他の施設と共に映画祭などもやりたいですね。そして、今回の大船まつりと連動した芸術館オープンハウスもぜひ継続させたいなと思っています。私は、芸術館をにぎわいのある場にしていきたいと思います。

 
 
NO165   2012/12/10掲載
 
   
 

 − 鎌倉演劇連盟はどのような団体なのでしょう。
中島 鎌倉演劇連盟は、鎌倉市民の皆さんに安い金額でできるだけ質の高い演劇を観ていただこうと結成され、現在私どもの劇団鎌倉小劇場、かまくら市民劇場、てんぴん座、くるま座の4団体が所属し、大人から子どもまで楽しんでいただけるさまざまなジャンルの舞台を創造し、個性的な活動をしています。

 − 連盟合同の公演も。
中島 鎌倉芸術館5周年で市民参加型の公演を行いましたが、この時は鎌倉演劇連盟全員が裏方となりました。演劇はそれぞれ個性があり、主張があるのでまとまってというのは難しいですね。

 − その中で劇団鎌倉小劇場はどのような劇団ですか。
中島 劇団の創設は1976年で、先輩たちの劇団を引き継いでスタートしました。私が師事した横浜演劇研究所長の加藤衛さんは、「演劇は日常的なところから始まるのであって、特別なものではないんだ」といつも言われました。日常生活を切り取って舞台でお見せすることにより、「ああ、そうか」と観客が気づいたり、新たな発見をしてもらえたらと考えて芝居づくりを行っています。

 − 大上段に構えるものではない。
中島 はい。ですから私たちの作品は誰でも経験する身近な出来事がテーマなんです。そして「鎌倉発」の芝居づくりにこだわっています。

 − というと。
中島 鎌倉は東京に近く鎌倉の人は、観劇というと東京に行き、鎌倉でつくる芝居は、なかなか集客が難しい。だからこそ私は鎌倉にこだわって芝居を創っているのです。鎌倉発といっても東京に殴り込むというのではなく、「鎌倉であのようないい芝居をやっているから観に行こう」というファンを一人でも多くつくりたいのですよ。
たとえば「鎌倉やさい」が人気野菜になっているじゃないですか。鎌倉の人が、昔から食べている、どこにでもある野菜ですよね。それがブランドとして、市内だけでなく市外や鎌倉を訪れる人までが買っていく。私たちの芝居も、そんな存在になればいいなと。

− いま鎌倉市民文化祭の真っ最中、あちこちでイベントが行なわれていますが、12月22日に鎌倉生涯学習センターで開催される劇団鎌倉小劇場はトリを飾る。その鎌倉発≠フ出し物は?
中島 タイトルは「人はみかけによらぬもの」で副題がらくだ運送奮闘記”。人間社会は見かけだけで、なかなか本当のことが見えてこない、そんなせちがらい時代、運送屋を舞台に、一緒に働く人たちが見かけのつきあいから本音を言い合う関係になり、人間の温かさ、やさしさに気づいてゆく。本音で話し合うことでどんどん変わっていくんだというストーリー。まさに、日常どこにでもある話が題材になっています。

 − ところで中島さんが演劇の世界に入ったきっかけは。
中島 家庭環境が大きいですね。父は映画監督になりたかったようです。母も芝居をした写真があります。映画や演劇が好きだったんですね。ですから、私も子供の頃から、木馬座や歌舞伎座など連れて行ってもらった。おばあちゃんの膝でテレビを見ながら、私も演劇をやりたいと密かに思っていました。でも、口に出せないで、北鎌倉女子学園高校に入学し初めて演劇部に入ったんです。大学ではいろいろな劇団で裏方を手伝って勉強の毎日。それで大学は8年行きました(笑)。アルバイトもいろいろやりましたね。
父は演劇関係者の方々など知り合いも多かったのですが、私は突っ張っていて一切助けを借りなかった。その分遠回りしましたが、好きな事をやってきた積み重ねで今日がある。これも両親のおかげですね。

 − それほどのめり込む舞台の魅力は。
中島 舞台はシビアで、お客さんはつまらなければ見に来てくれない。どうすればこちらを向いてくれるか、お客さんの反応こそが勉強になる。その緊張がたまらないですね。ですから手作りにこだわっています。舞台装置も自分たちでつくります。私は照明技術者の資格も持っているんですよ(笑)。

 
 
NO163   2012/10/10掲載
 
   
 

−9月27日にイコモス(国際記念物遺跡会議)の現地調査も終り、いよいよ来年6月に世界退産登録の結果が出ることになりました。この会が誕生したのは平成11年ですから、活動歴も13年ですね。
福澤 そう。竹内市長の時代でした。私は建築が専門で、当時懸案だった御成小学校の改築基本計画などをつくったりしたのが、まあうまくいきまして、建築家とかプランナーは物事を解決する人種と思われたのか、お手伝いをするようになって今日まできました。

−市民の立場から世界遺産登録に向けた活動をしていこうというのが会の趣旨ですが。
福澤 いまの鎌倉世界遺産登録推進協議会の考えと同じですね。私は、鎌倉の世界遺産のあり方、それに向けて鎌倉のまちをどのように方向づけするかなどに興味をもち、運動の拡大や、会員数を増やすなどはあまり関心がなかった(笑)。そのうち市が協議会をつくり、私もそちらの理事になり、協議会はワークショップ、市民の会はシンポジウム、両方の会の催しがうまくかみ合っていけばということでやってきました。

−武家の古都・鎌倉・連続シンポジウムではさまざまな視点から世界遺産都市としての鎌倉のあり方を考えてきましたが、22回目の今回は「日々のくらしと鎌倉の世界遺産」と題し、女性円卓会議の開催となりました。
福澤 20回目が「鎌倉の若者たちと世界遺産−これからの鎌倉を想い描く」というテーマで、若者たちに登場してもらいました。女性たちとの準備会で、「北条政子がいなかったら鎌倉はなかったかも」という話が出て、そこで、今度は現代の政子のような方たちに登場してもらい、大いに語ってもらおうとなりました(笑)。
まちづくりを一軒の家づくりに例えると、資金の面や建築会社を選ぶのはお父さんでも、家のプランニングは実際に家庭を切り盛りしているお母さんなんですね。その日常の体験、感性から見た鎌倉について思うところを語ってもらおうということなんです。

− メンバーもそれぞれ個性的。面白いシンポジウムとなりそうですね。
福澤 最初に問題提起の発言を予定されている牧田さんは、鎌倉育ちで、お店の経営のかたわら、鎌倉の芸術文化振興に尽力されていますし、市民の会から、世界遺産登録活動に打ち込んできた卯月さんが出る。山村さんは「道普請の会」で史跡や公共空間の維持・保全の活動を、高木さんはカメラのファインダーをのぞきつつ鎌倉の景観を考えてきた。カフェ・鎌倉美学を経営し鎌倉アーティストバ ンクで若い芸術家たちを支援するアルバレスさん。市民側から図書館や文化施設を考える図書館ともだち・鎌倉の阿曾さん。鎌倉古民家バンクや北鎌倉たからの庭の活動で鎌倉の宝物を探り、演出している島津さんと、皆さん意識が高い方ですから楽しい話が開けると思いますよ。

− 日々のくらし”の意味は。
福澤 新聞報道で見る限り、イコモス調査員の王さんの感想として、まちもなかなかきれいにまとまっていると語っています。鎌倉には評価点が辛く、文士がいたころの平屋で庇があり、庭が広いような家が集まったまちを想像している方とか、ビルやマンションは鎌倉に似合わないという方は多い。しかし、高齢者が増えてくると、石段を登る山の上に住んでいた人も、平地に下り、エレベータのあるマンションがいいというように、生括とまちはどんどん動いていきます。市は世界遺産のまち鎌倉をどうつくるかに取り組み始めました。山の手当ては見守り隊を組織しやっていますが、それも限界がある。指定された候補地などの周辺の人が関心をもち守っていくようにならなければ維持は難しい。バッファーゾーンのあり方も含め、日々のくらしから世界通産のまちづくりを語ってもらえたらというのが企画のねらいです。

 
 
 
 
 
 
NO161   2012/7/10掲載
 
 
マスコミでもとりあげられる 鎌倉ブランドマークの“鎌倉やさい”って何!

 鎌倉やさいと書かれた紫のテープで束ねられた野菜や、黄色いK文字に緑の目・ロが描かれた鎌倉ブランドマークは、家庭の主婦ならほとんど知っているのでは。
すっかりおなじみとなったこの「鎌倉ブランドマーク」が鎌倉産の野菜に表示されるようになったのは平成7年。新鮮で安全な農産物の普及を図るために始まった。いまでは鎌倉市内だけでなく、鎌倉ガイドのテレビ番組や雑誌記事などでもとりあげられるほどの有名ブランドとなっている。

鎌倉やさいは“七色畑”

 その背景には、鎌倉の農業の特徴がある。
まずあげられるのが、鎌倉の気候・風土。温暖で、年間通じてさまざまな品種の作物が収穫できることだ。その種類は約60種と、多品種少良生産。そこで“七色畑”と呼ばれるように。「それどころか最近は、1つの品種でも色、大きさ、味などさまざまな種類が生産されています。多品種野菜から1品種多彩の七色畑に変わってきました」と関谷の農家で、鎌倉ブランド会議委員の盛田勝美さん。
鎌倉の農地は市域の約3%(約107hc)で、そのほとんどが手広や関谷・城廻地区。まさに都市型農業の典型、“鎌倉やさい”として差別化を図ることで地産地消を先取りしてきたといえる。
そのため“鎌倉やさい”のブランドマークがつけられる農家は、新鮮・安全・安心な農産物の生産に同意した登録農家に限られる。害虫防除に工夫をこらし農薬や化学肥料をできるだけ減らし、また、家庭などの植木労定材を堆肥場で牛ふんと混合し堆肥にし、それを肥料にし野菜をつくり消費者に提供する循環型農業にも積極的に取り組んできた。

4つの販売ルート

 こうして生産された鎌倉やさいは4つのルートで販売されている。
1つが若宮大路横須賀線ガード近く約80年の歴史をもつ、通称レンバイと呼ばれる鎌倉市農協連即売所。25軒の農家が所属しており、4日に1回のペースで1日6軒が出店している。盛田さんも生産した野菜はすべてここで販売。「自分で作った野菜以外は売ってはいけないことになっています。お客さんは地元の住民からレストランなど飲食業、最近は観光客も来ますので、食べ方まで勉強しないと対応できません」。
人参でもオレンジ、紫、赤、黄など多種類、トマトも同様で、「吟味して買われるお客さんが多く、出店者も切磋琢磨ですね」と盛田さん。
2つ目が、市場を通し市内の小売店やスーパーの店頭で売られる。3つ日は、直売。農家の敷地内に販売コーナーをつくったり、地域を回っての販売。4つ日は朝市やイベントでの販売だ。
「生産者の顔の見える野菜を販売しているので、責任感も強くなる。
それが励みにもなっていますね」というように、鎌倉やさいは消費者の食卓を潤し、健康づくりに貢献しているのである。

 
   
 
NO159  2012/5/10掲載

 − 東日本大震災から1年を過ぎました。震災時櫻井さんはどこに。
櫻井 会社にいました。高層ビルでしたが、全員が川に近いグランドに避難したのです。恐ろしくて泣き出した女性もいました。その日は帰宅できず、会社で一晩中テレビを見ていました。津波に呑み込まれる街、車、想像を超えたことが次々起こって……。

 − 余震は続き、福島原発の事故も起こって、不安、恐怖は増幅していきました。
櫻井 あのような経験をすると、ものが違って見えてくる。今まで通りすがりの普通のおじいさん、おばあさん、宅配便のおじさんも、
輝いて見えたんです。生きているという感覚というか意識が私の中で変わったのかも知れません。何がどうあっても、死んではいけない。津波にのみこまれるようなことは避けなければいけない。まずは死なないこと。

 − 死んだらおしまいだと……。
櫻井 死者の声なき声を聴くことに意識を向けるとそうなります。
「油断するな。死ぬときは苦しいぞ。生きているからこそできることが、まだあるんだぞ。油断で、人任せでは死ぬな」と。
と同時に、皆が助かるにはどうしたらいいのか。とにかく生き延びる、それが亡くなった方々の供養になるのではないかと……。
そうは思っても、自分一人では何をすればいいかまったくわからず悶々とした日々が続きました。
その時に、市内小中学生の99・8%が大津波から逃れ無事避難した岩手県石巻市の防災教育を行なってきた片田敏孝さんのインタビューをネットで見たのです。片田さんは群馬大学大学院教授で釜石市の防災アドバイザーとして防災教育に熱心に取り組み、「地震が来たら自分自身が最初に逃げる勇気を持ちなさい」と子ども達に伝え続けた。それは私の考えと同じ、私はなんとか片田先生に鎌倉の防災アドバイザーになってもらおうと思ったのです。
早速連絡をとったら、アドパイザーはどこの行政団体も今は受けていない、講演ならということでした。でも、個人では難しい。そこで、鎌倉市NPOセンター事務局長の渡邉公子さんに相談したのですが、防災は永遠のテーマ、一回の講演ではダメ。住民、自治体、自治会などコミュニティが大切で、長期的な活動でなければと言われまして、この団体を立ち上げたのです。渡邉さんはメンバーも集めて下さった。皆さん、復興支援活動をしているリーダーの方々なんですが、復興と防災は車の両輪だと械極的に協力いただいて。そして、4月22日に御成小学校で片田先生の講演会を開催したのです。

 − 反響はいかがでしたか。
櫻井 講演会には市長も参加され、消防署長、警察、市防災課、そして市内公立学校の校長先生約30人も来ていただいた。当初、加入を予定していたのですが、参加者は約400人にふくれあがりました。皆さんそれぞれに危機感を持っていただけたようで、よかったと思っています。

 − これからとのような活動を。
櫻井 鎌倉は海あり、山あり、丘、川、谷戸と日本の特徴が詰まっている。しかも国宝や重文も多く、世界遺産登録にも取り組んでおり、スーパー堤防や高層の避難塔建設は難しいですよね。片田先生も、「大いなる自然の営みに畏敬の念を持ち、行政に委ねることなく自らの命を守ることに主体的たれ」と言い、@「想定にとらわれるな」、ハザードマップを信ずるなA「最善を尽くせ」B率先避難者となれ」という避難の3原則を強調されました。自然は人間の都合通りには動いてはくれません。それを肝に銘じて、自らがいつでも臨戦態勢でいられるようにする。一人一人がこの意識を持って行動できるようになるまで、努力していきたいと思います。そのためにはコミュニティの力が大切です。地道だけれどこんこんと湧き出ずる泉のような活動を続けていきたいと思っています。


 
 
NO158  2012/4/10掲載

 − 市民活動センターも今年で14年になりますか、現在登録されている団体はどのくらい?
渡邉 404団体です。鎌倉は会員が10〜30名くらいの規模の小さい任意団体が多いんです。でもミッション性が高い。今まではコピー機や話し合う場所もないのでセンターを利用していましたが、この頃は他の団体と連携を持つ情報を得たいと登録してくる若い人たちが多くなりました。全部で約800団体はあるといわれます。

 − 他地域と比べてどうですか。
渡邉 鎌倉と同程度の人目17万人規模の都市と比べると、ダントツに多いですね。

 − これほど活発な理由は?
渡邉 鎌倉の人は、鎌倉を良くしたいという思いが強い。なにか課題を見つけると、行政など待っていられないと自分達で動き出す。行動力がありますね。
その背景には、生活レベルが比較的高いということでしょうか。

 − 市民と行政の協働を謳ってきましたが、成果のほどは。
渡邉 この4年間、お互い対等の関係でと取り組んできましたが、協働について市も市民にもよく理解されていないところがあって難しい。お互いの理解を深め、一歩一歩進めていきたいですね。

 − 一方で、NPO同士の協働が増えてきましたね。
渡邉 はい。コラボレーションを強めるコーディネーターの役割を担うのが、私どもNPOセンターなんですよ。東日本復興支援活動は一つの良い例です。
復興支援には、鎌倉からさまざまな団体がいち早く取り組み現地で活動してきました。そのような団体がネットワークを組みだしています。また、物産面で東北支援をしている団体に呼びかけ、「東北ココロを結ぶプロジェクト in 鎌倉」実行委員会を立ち上げました。市の協力も得てこの1月より、毎月第2、4土曜日、生涯学習センター玄関前で東北物産販売を始めたのですが大好評でしてね。市民がとても協力的でありがたいです。
また、女川カレーを立ち上げた団体は、カレー工場まで建設、3月31日に現地に引き渡しました。物販を通して雇用促進に結実した支援となったのです。

 − 「何とかしたい」という思いがNPOの活動の原点なんですね。
渡邉 そう、それが市民活動だと思うんです。街をきれいにしたい、緑を保全したい、文化を継承したい、困っている人を助けたいなど。市民活動は動きが速い。顔と顔の見える関係を築いて次々進めていきますから。ですから、相談されると何とか力になろうと頑張ちゃうんですよ(笑)。
NPO同士の連携は着実に増えています。そういう気風が生まれてくると、市との協働もやりやすくなってきますね。

 − 地域との関係は。
渡邉 市民からはまだ「NPOって何」という声が多い。そこで、以前10周年記念で堀田力先生に講演をお願いしたのですが、その時先生が、NPOは公益でいいことやっているつもりかもしれないが、地域とのつながりはあるのかと、痛いところを突かれました。そこで、地域にNPOをまず知っていただこうと玉縄まつりや御成町のまつりに参加したりしています。ただこのセンターには、市内の自治町内会も登録団体となっているんです。こうした関係も活かして、人と人とのつながりを大切に地域との関係を深めていければと思いますね。

 
     
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