2011年 掲載


朝比奈宗泉の禅語逍遥

NO155 (禅語逍遥Cより再録)

(筆者は浄智寺閑栖)

 74 
 平常心是道     (へいじょうしん これどう)

 これは中国の「無門関」という禅の教えを説いた本の第十九則に出てくるお話しです。
唐の時代の趨州という偉いお坊さんが、その師匠の南泉禅師、「道とはどんなものでしょうか」と問うたところ、「平常心が道である」と答えられました。そして二人の問答になります。
「それはどうしたらつかまえられますか」、「つかまえたいと思ったら、かえって逃げてしまう」、「そんな実体のないものはつかまえようがありません」、「いや、考えてみよ。ものがあるとか、ないとか、そういう普通の分別などは超越して、もうどちらも考えな.いようになれば、心は晴れわたった秋の空のように清々しくなり、道は自ずからはっきりと見えて来るのじゃ。」
禅師はこう説かれました。
身を焼く恋愛でも、すべて忘れ、そしらぬ風をした方が、成功するようですね。


NO154 (禅語逍遥Eより再録)

(筆者は浄智寺閑栖)

 73 
 莫妄想     (まくもうそう)

  中国唐の時代の無業禅師という方は、生涯の中で、何か人から尋ねられる度に、ただ、「莫妄想」と答えるのみでした。莫は「・・・すること莫れ」であり、妄想とは、よこしまなものへのこだわりの心をいいます。そこで、つまらぬことにこだわっていてはいかんという意味になります。
鎌倉の円覚寺へ中国の宋から来られて開山様になられた無学祖元師は、弘安の役の時、執権の北条時宗公を「莫煩悩(まくぽんのう)」の言葉で激励されました。煩悩も妄想も同じようなこだわりの心を指します。禅宗では、この心をなくすれば、悟りの境地に入れるといわれています。
「馬鹿は気楽じゃ、理屈の種が、胸にないので気が広い」と古人が言ったそうですが、こだわりを超越して、馬鹿に徹するのも人生には大切なことなのです。


NO153 (禅語逍遥Qより再録)

(筆者は浄智寺閑栖)

 72 
 照顧脚下     禅林類聚(ぜんりんるいじゅう)

 脚下を照顧(しようこ)せよ。これは禅寺の玄関でよく見かける言葉です。照顧とは「照(て)して顧みる」、つまりよく見て反省することです。
脚下とは「足もと」ですから、身近なところに気をつけよ、ということになります。他所の家を訪問して、玄関で履物を乱雑に脱ぐようでは駄目です。照顧は飽くまでも自分自身を律することであって、他人に求めるものではありません。常に自己の本質と対峙して自身に問い聞かせることが肝要です。
古人が、「われ思う、故にわれあり」といわれているのは、このことを指すのであって、自身の心との会話こそ大切なものとなります。私が雲水の頃(修行中)、よく托鉢に出ましたが、必ず網代笠(あじろかさ)を深くかぶりました。
これは周囲に惑わされずに自己を見つめ歩くための一つの修行の道具なのです。誰もがこのような心構えで自己を養ってほしいものです。


NO151 (平成17年4月10日号より再録)

(筆者は浄智寺閑栖)

 71 
 随処に主と作れば立処皆真なり   

 これは、臨済宗の祖、臨済禅師(八六七寂)の言われた有名な言葉です。
主とは、すべての人間に内在する仏性のことです。「随処に主となる」、つまりどんな困難に当たっても、仏性の存在を自覚し、渾身の力を振り絞ってでも、しっかりした自己を見極めるこせがたいせつである、と言われるのです。そこで、「立処皆真なり」となります。進退はどうすればよいのか、と迷いの中にあったのですが、霧が晴れるように、真実は自ずから見えてくるのである、と説かれます。
人生とは、ひとたび心の緊張を疎かにすると、不安や苛立ちにおそわれて、月日が経てば、ますます再起もおぼつかなくなり、無意味な時を過ごすことになります。
人は、如何なる状況の下にあっても、平静な心を失わず、悠々と大空をゆく白雲のような心境になることが願わしいのです。


NO149

(筆者は浄智寺閑栖)

 70 
 雪裡梅花只一枝   (せつりのばいか ただ いっし)

 この度の東日本大震災で、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
「雪裡梅花只一枝」は、道元禅師の師如渾禅師の言葉の中にある一節で、「雪に埋もれている梅の花は、お釈迦様の悟りそのものである事を伝えております」。これを受けて道元禅師は「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」で「お釈迦様が悟られるのは、丁度春風が吹くようなものです。雪に埋れている梅も間もなく咲き乱れるようになります」。と伝えておられます。如浄禅師の言葉は、弟子達への励ましでもあったのでしょう。修行者は苦難を乗り越えて悟り、その喜びを得る事を期待して修行に励んでいったのです。
私たちも同じです。今回の震災にめげる事なく、苦労・苦難の厳しい道を乗り切ってこそ、花も咲き開く事でしょう。「がんばれ」という言葉は簡単な事かも知れません。でも苦難を乗り切ってほしいというのが今お送りできる本心です。


NO147

(筆者は浄智寺閑栖)

 69 
 風来疎竹 風過而留声   (菜根譚)

 「菜根譚」とは、中国の明未(みんまつ)の儒者・洪応明(こうおうめい)の著書です。
「風、疎竹に来る(竹やぶを揺さぶる)。風、過ぎて竹に声を留めず(風が通り過ぎでしまうと、そこは何事もなかった様子になる)。何かことが起きたときに、人は動揺し、それに執着して振りまわされるが、ことが終わり、時が過ぎれば元の状態に戻るのです。
「物事に執着して心を動かすようなことは、心の空(無駄)である事を知れ」ということです。
人は常に不安と苦悩を苛立ちのなかで、過ごしています。そんな時、何か普段と変わったことが超これば人は皆動揺し、「どうしよう」と心を悩ませますが、それは一時的なことで、時が解決してくれるのです。
人はどんな現実におかれても、自然体でいる。それには執着のない無心に徹することが、肝要と思われます。常に自己を見失なわず行動する事を心掛けたいものです。


NO146

(筆者は浄智寺閑栖)

 68 
 水流元入
月落不
   五燈会元(ごとうえげん) (第十六)

 「水流れて元海に入り、月落ちて天を離れず」。水の流れはそれぞれ方向を異にしていますが、最後は海へと辿り着きます。
月は東から上り、西へ没もますが、決して天を離れようとはしません。人に老若男女・賢愚貧富の差があったとしても、本来の純粋な人間性、自分の中のもう一人の自己を具えていれば本源(おおもと)に戻れるのです。
これらは主人公((5)参照)や本来面目((66)参照)と同じように考えて下さい。本来全ての人には同じ本心・仏性が具わっています。つまり本来の自己に徹することによって、差別は平等を意味し、平等は差別をする真理に還元されてしまうということです。
現代、格差社会とか政治不信とかいわれ、当然貧富の差も大きく取り上げられますが、人間の行き着く処は同じと考えると、周囲の言動や己に降り注ぐ物事にも動じず、己を信じて生きていくことが大切と思われるのです。


朝比奈宗泉の禅語逍遥
 
NO155 74 平常心是道(へいじょうしん これどう)
NO154 73 莫妄想 (まくもうそう) (禅語逍遥Eより再録)
NO153 72 照顧脚下  禅林類聚(ぜんりんるいじゅう) (禅語逍遥Qより再録)
NO151 71 随処に主と作れば立処皆真なり (平成17年4月10日号より再録)
NO150よりしばらく「休載」とさせていただき、151号からはHP立ち上げ以前にご執筆いただいた記事を再録してまいります。
NO149 70 雪裡梅花只一枝(せつりのばいか ただ いっし)
NO147 69 風来疎竹 風過而留声
NO146 68 水流れて元海に入り、月落ちて天を離れず
 
NO145 67 常楽我浄
NO144 66 本来の面目
NO143 65 万里一条鉄  ばんり いちじょうの てつ
NO142 64 風動幡動 ふうどうばんどう  (無門関二十九則)
NO141 63
かん し けつ (そつたくどうじ)  (碧展録(へきがんろく)第十六則)
NO140 62
かん し けつ (かん し けつ)  (無門関第二十一則)
NO139 61 般若 - 般若心経(はんにやしんぎょう)
NO138 60 白拈賊(びゃくねんぞく)
NO137 59 無位真人(むいのしんにん) 臨済録
NO136 58 無心  伝心法要 (でんしんほうよう)
 
NO135 57 夢  道元禅師 (一二〇〇〜一二五三)
NO134 56 竹有上下節  槐安国語(かいあんこくご) 第四
NO133 55 清風明月  碧厳録(第二十一則)
NO132 54 両忘 (りよう ぼう)  程明道(ていめいどう)  「定性書」(ていせいしょ)
NO131 53 放下著 (ほうけじゃく) 従容録(しょうようろく) 第五十七則
NO130 52 非心非仏(ひしんひぶつ)  無門関(むもんかん) 第三十三則
NO129 51 回光返照 (えこうへんしょう) 普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)
NO128 50 東山水上行   雲門広録 巻上
NO127 49 一期一会  茶湯一会集
NO126 48 天地与我同根、万物与我一体   碧巌録第四十則
 
NO125 47 体露金風    碧巌録第二十七則
NO124 46 空手把鋤頭/歩行騎水牛/人従橋上過/橋流水不流 五燈会元
NO123 45 吾心似秋月、碧潭清皎潔   寒山詩
NO122 44 坐水月道場、修空拳万行 禅林句集
NO121 43 直指人心 菩薩達磨
NO120 42 芭蕉柱杖 無門関(四四則)
NO119 41 騰騰天真に任す  (良寛詩編)
NO118 40 自灯明・法灯明  (涅槃経)
NO117 39 柳緑花紅   (金剛教 川老注)
NO116 38 拈華微笑   (無門関  第六則)
 
NO115 37 紅炉上一点雪  (碧巌録) 第六十九則
NO114 36 大死底の人  (碧巌録) 第四十一則
NO113 35 百不知百不会  (無文印語録)
NO112 34 一日不作一日不食 (五燈会元三) (いちじつなさざれば いちじつくらわず)
NO111 33 一円相 信心銘 僧燦禅師
NO110 32 壺中日月長 「虚堂録」第六 (こちゅうにちげつなが)
     

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