中国の唐の時代のことです。
ある僧が雲門文偃禅師(うんもんぷんえんぜんじ : 九六七寂)に「樹木の葉の落ちたあとをどうごらんになりますか」と問いました。禅師は、「これは煩悩や妄想がすっかりとり払われて、解脱した時の心に似ておるわい」といわれたのです。金風とは秋風のことです。普段は葉や枝が茂っているので樹の幹はよく見えません。秋風で枝葉(煩悩、妄想に比喩)が落ちて、樹木がまる裸になり、煩悩、妄想が消えてしまったふうに見えるわけです。そこで、悩みや欲が心をとり囲んで困ったときは、落葉などのように風に托してしまえばよい、と説かれるのです。心が解脱すると、松頼(しょうらい : 松の音)も、川の響きも、みんな仏様の有難いお声であると理解できます。
世間のつまらぬ考えなどはすっきりと排除した時こそ、己を知る人になれるのです。そこにあるのは「照顧脚下(しょうこきゃっか)」の心境です。
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