冬の風景
明治学院とヘボン博士 ニューヨークで開業医をしていたヘボン博士は、近代的医療の光がまだ当たっていない日本で、病に苦しむ人を救いながら、キリスト教を伝えたいという志を抱いて44歳のとき、1859(安政6 )年10月に来日。 ヘボン博士は診療と同時に、教育にも力を注ぎました。1863年に横浜山下町に開いた「ヘボン塾」では、後に首相となった高橋是清や外相となった林董(ただす)なども学んでいます。このヘボン塾が明治学院の源流となり、いまに続いています。 また、ヘボン式ローマ字は、日本初の本格的和英・英和辞典『和英語林集成』の日本語記述方式として考案されたものです。7年7ヵ月の歳月をかけて完成したこの辞書は、それ以降に日本で出版されたヨーロッパ各国語の日本語辞書の基盤となり、ヘボン式ローマ字は外国人が日本語を発音するための道標となりました。後にヘボン博士はこの辞書の版権を丸善に売り、その資金をもとに当時東京随一といわれた木造建築の「ヘボン館(寄宿舎)」が、白金の明治学院のキャンパスに建てられました。 さらにもうひとつ、忘れてはいけないヘボン博士の大きな業績、それが新・旧約聖書の和訳です。1880年にブラウンらとともに『新約聖書』を、1887年には『旧約聖書』の和訳を完成しています。この聖書の美しい日本語は、文語聖書として長く親しまれ、文学作品にもたびたび引用されています。
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