鎌倉生活 2013年6月10日号 1ページ  
 

    「共に歩む会」メンバーは「テアトル鎌倉の灯を守る会」の仲間   

右から、「鎌倉で映画と共に歩む会」代表の藤本さん、中尾さん、木口さん

  かつて旧鎌倉には5つの映画館があった。映画はまさに娯楽の王様。しかし、戦後の復興から高度成長、テレビの普及などもあって鎌倉の街から一つ、また一つと映画館は消え、最後に残ったテアトル鎌倉も閉鎖するという。
 「テアトル鎌倉の灯を守る会」を立ち上げ何とか存続をと奔走したのが藤本美津子さん達。約7500の署名を集めたが1988(昭和9年、テアトル鎌倉は閉館。
 その後、映画の国際交流に力を注いできた川喜多長政・かしこ夫妻の住居跡に映画のための施設建設の計画が持ち上がり、藤本さん達は自主上映会を開催し支援してきた。
 この間、2000年6月30日松竹大船掘影所も閉鎖、鎌倉から映画の拠点が消えた。
 この年の9月「テアトル鎌倉の灯を守る会の仲間たち」主婦5人が呼びかけ人となり、「鎌倉で映画と共に歩む会」 (代表・藤本さん)を結成、2001年に正式発足。
 「上映作品のほとんどが自分たちが見たい映画」と藤本さん。すかさず傍らの木口都弥さん、中尾典子さんから、「ほとんどは藤本さんが選んでますけどね」という声が飛び大笑い。
 これまで自主上映は約150本にのぼる。邦画、外国映画、時代劇、現代劇、アニメ、ドキュメンタリー等々、その幅は広い。

  被爆者焦点の作品をバリアフリー上映     

 注目は、2012年から続く被爆者をテーマの作品上映だ。
 2011年3・11の東日本大震災と福島原発事故以後、復興支援を謳ったイベントが盛んだが、「共に歩む会」では、広島・長崎の被爆者に焦点を当てた作品を上映している。
 2012年8月上映の漫画家・中沢啓治が語るドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」は字幕付き作品を選んだ。目の不自由な方には副音声をつけ、同時上映のアニメ「はだしのゲン」にも鎌倉のボランティアグループ「あ・うん」の協力で字幕をつける。
「こうして上映会には、字幕、副音声、石田優子監督のトークには要約筆記、手話もつけバリアフリー上映となった」。
 これがバリアフリーボランティアたちの関心を呼び、市内だけでなく近郊からも多くの来場者が。当日は暑い日だったが、鎌倉市被爆者の会(いちょうの会)からも20人が来場。「その方たちにお会いし、ぜひ体験を聞く会を開こうとお願いしたのです」と藤本さん。
 そして3か月後の11月、フランスのマーク・プチジャン監督の被爆の記憶・映画と証言「核の傷・肥田舜太郎医師と内部被曝」を上映。その第2部で証言・鎌倉市被爆者の会(いちょうの会)会長・高野澄子さんら6人に広島・長崎原爆投下被爆から今日までの体験を語ってもらった。
 たまたま帰国していたブラジル在住の記録映像作家・岡村淳さんが、それならと被爆者の証言をその準備段階からカットなしで掘影した。

  鎌倉市被爆者の会メンバーが体験を語る   

  来たる6月21日(金)この時の証言を全記録したドキュメンタリー映画が「被爆の記憶・鎌倉からの証言」として上映される。(あ・うんによる字幕付き)
「鎌倉に被爆者が200名もいらっしゃる。この方たちの体験は、改めて核の恐ろしさを教えてくれます。内部被曝とはどういうことかを知ってほしい」と藤本さん。
 高齢となった被爆体験者の記録は貴重だ。私達は福島原発事故で核の恐ろしさを目の当たりにした。68年前の原爆被害者証言の重さを重ねて、改めて核の問題を考えたいものだ。

 
 
 

      ブラジル在住の記録映像作家 岡村淳さん      

  岡村さんは今春「忘れられない日本人移民−ブラジルへ渡った記録映像作家の旅−」(港の人・1800円)を発行。
 その中の「移民と原爆」という章では、ブラジルにも被爆した移住者がかなりいるが、被爆者認定されない。それはおかしいと在ブラジル原爆被爆者協会を設立し活動し、 自らも広島で被爆した森田隆さんを取材し、「移民と原爆」という車で紹介している。
 また、6月27日(木)18時50分〜には岡村淳監督のドキュメンタリー映画ララジルの土に生きて」も上映される。
(鎌倉生涯学習センターで、入場料1000円・お茶付)

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