鎌倉生活 2011年3月10日号 1ページ  
 

  銭湯は人間回復の場 

  阪神淡路大地虚から16年になるが、あの惨状は未だに忘れることはできない。今年に入っても、1月に発生した宮崎県の霧島・新燃岳噴火、2月22日のニュージーランド地震と、大災害のニュースが続く。「天災は忘れた頃にやって来る」といわれるが、近年は、忘れる間もなく襲ってくると言い換えるべきかも。備えあれば‥というが、これで安心はないというのが昨今の教訓だ。
 こうした中で、阪神淡路大震災を体験した明治学院教会牧師の岩井健作さんが代表の「震災銭湯をつくる会」が鎌倉に震災銭湯を!″と提唱し、運動を開始ている。
 神戸で被災した岩井さんは、震災時日本基督教団の「阪神淡路大震災」救援活動センター地域委員長として、救援活動に携わってきた。さまざまな救援活動をするなかで、被災者にとって入浴がいかに切実なものかを目の当たりにした。仮設住宅にはプロパンによる風呂の設備はあっても、被災者は復旧した銭湯に殺到したという。「体を温めて心を癒すだけの場所でなく、銭湯は人間回復の場所であり、地域コミュニティそのものだった」と、この裏災銭湯設置の提案を発表した1月17日の記者会見で、岩井さんは語っていた。
 「阪神淡路大地震やその後の中越地震でも、水、食料、衣類などの救援物資は全国からたくさん寄せられたけど、同時に、お風呂に入りたいという願いは被災者にとって切実だったのですよ」と、同会の事務局長を務め「地震は貧困に襲いかかる」の著書もあるフリーライターの井上節子さんも災害時の銭湯の役割がいかに大きいかを強調する。

  コミュニケーションの場が震災銭湯に 

 では岩井さん等が描く震災銭湯″とはどういうものか。
 上のイラストにあるように、建物は耐震構造の3階建て。平常時は、1階が駐車場、コインランドリー、2階に銭湯、サテライト・デイサービス(週1回行政と地域のボランティア団体によって行われる福祉入浴)、3階は、ふれあいの場として地域に開放されるコミュニティスペースに。
 さて、これが震災時になるとどう変わるのか。
 まず1階には、救援対策本部を設置。困りごと相談コーナー、ボランティアコーナー、防災用具貯蔵コーナー、給水車、簡易トイレなども設置する。2階は、震災銭湯。 3階は、情報コーナー、救急介護コーナー、休養スペースを設ける。
 「憩いの場、コミュニケーションの場としての銭湯が、イザ地震がとなったら震災銭湯に早変わりするのです」(井上さん)。
 それだけでなく、この震災銭湯を鎌倉の観光スポットにしようというのだ。
 井上さんによると、「吾妻鏡」には、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、亡くなった後白河法皇の追善供養として「施浴」を行ったと書かれているそうだ。施浴とはまさに銭場のこと。そこで、この「震災銭湯」を「源氏湯と命名し、鎌倉の観光スポットにしたらというわけ。

   市の中心部に市が設置、運営管理を組合が 

 建設場所は、鎌倉の中心部。というのは、現在市内には5軒の銭湯があるが、そのうち4ヵ所が大船地区、1カ所が材木座で、大船に偏在している。市役所があり、観光客も多ぐ集まる。しかも地盤がしっかりしている市の中心部にこそ震災銭湯が必要ということだ。設置は市が行い、管理運営を鎌倉市公衆浴場業生活衛生同業組合が市から受託するという方式。
 同組合の小野田将夫組合長も、「銭湯は県条例により規制されており、民間は難しい。市民のためになり、観光客にも喜ばれる震災銭湯ができれば組合は全面的に協力したい」と語る。
 阪神淡路大震災の際ボランティア活動をした若手銭湯経営者の全国組織「ネットワーク1010」でも震災銭湯構想は高く評価され、県や全国の公衆浴場組合も支援に積極的という。
 この震災銭湯設置運動と、昨夏の事業仕分けの対象となったデイ銭湯事業、高齢者入浴助成券の存続(市の取組方針は改善決定)を併せて、いま「銭湯友の会」や「鎌倉市老人クラブ連合会」などが協力して署名活動が展開されている。
 いざ鎌倉″にちなんで、震災銭湯を鎌倉から全国に発信する、この運動。「鎌倉で、鎌倉にではなく、鎌倉から″県、そして全国へと広がっていければと思うのです。皆さんぜひご協力を」と井上さんは訴える。

■「震災銭湯をつくる会」事務局〒247−0061鎌倉市台2−9−23 103号 TEL0467−47−1368

 

 
 
 
     
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